シン・俳句レッスン28
久しぶりにゴーヤチャンプルを作った(写真は違うけど)。去年より食べる回数が少なかったのは卵が高いせいだった。ゴーヤは去年と同じぐらい。もっとも安くないと買わないが。それに豚肉と豆腐と卵を買うと結構出費になってしまう。だいたい二食分作るんだけど毎日食べるものが同じになってくるな。今日はゴーヤで俳句(十句作ろうと思ったが出て来ない)。
これいいな。
沖縄に行ったときの思い出。
三橋敏雄の十句
「胸分け」はやや丈高い秋草だという。「花野かな」は高屋窓秋「頭の中で白い夏となつてゐる」を想起する。「花野」には多くの俳人がいたに違いない。釋迢空「葛の花踏みしだかれて色あたらし」を連想した池田澄子。先人たちの花野をかき分けて歩いて行くのだ。
「呼子鳥」は呼ばれているような鳥の鳴き声だがその姿が分からない鳥。そういう鳥はいるよな。「晩春」の季語だったのだが蕉門では外されたという。新興俳句の厳しい航海か?『長濤』は三橋敏雄の忌日が「長濤忌(ちょうとうき)」だという。「うねり」という意味。
「長濤」という難しい言葉をどこかで知ったが辞書にも人に尋ねても分からなかったという。そんな航海のような俳句人生だったのかと思う。
「来し方や」池田澄子が師事しようと思ったという句。「鶴が連れたる」ということなんだろう。
「戦争と畳の上」は戦火想望俳句のことだろう。そして「団扇」とは平和な日常のことか。
「空気疲れの」は高屋窓秋に「地球ごと風がまはるよ蝶飛来」があり、その連想だという。エスプリヌーボーの心だな。
「新興俳句忌」「ちふはなけれど」はちゅうのはないけれどという意味だろう。それは春の雪に埋もれてしまったのか?
「春二番」は「春一番」が消えているけどその前にあったのだ。それが無くなったから馬鹿なのかと思う。「春一番」は大嵐の新興俳句弾圧事件だろうと思う。その後を継ぐ馬鹿たちか?
「死に消えて」高柳重信が亡くなったときの句だという。
「あやまちは」の句も戦火想望俳句だろう。
芥川龍之介の俳句
川名大が芥川が詠んだ新興俳句らしきもの。芥川は虚子の弟子を自認していたから、新興俳句には否定的だったのだが、完全に否定するということはなく、新興俳句の俳人とも付き合っていたし、新しい表現の俳句には興味を持っていて、厳密には虚子の花鳥諷詠の句を作っていたのではなかった。ただ芥川の俳句表現の中に季題趣味と一七文字で成り立つのが俳句であり、それ意外の表現は俳句形式からは外れると思っていた。
また芥川が手本としたのは芭蕉であり「芭蕉雑記」を始め場所に関する作品も多い。
芥川は芭蕉の「調べ」の良さは蕪村も敵わないとしながらも芥川の作風の絵画的特徴は蕪村から影響を受けていた。
『澄江堂句集』は芥川が自選した俳句だが、萩原朔太郎が蕪村を「郷愁の詩人」というようにある種のわびしさが漂っている。
芥川もわが身の闇を見つめた詩人だった。
歴史的仮名遣いとカタカナも季語もごっちゃ。
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