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シン・短歌レッスン149


NHK短歌

大河ドラマ「光る君へ」とのコラボ。選者は俵万智さん。ゲストはドラマで題字や書道の指導をした書道家の根本知さん。スタジオで書道の実演も。司会はヒコロヒーさん。

「文字」への注目は面白い。俳句だとそこまで文字に拘っていないかもしれない。いまだに口承性が重視されるが、俵万智の考え方は文字短歌としてのレイアウトとか見た目重視の思考。一時空けとか短歌では当然なのだが、俳句では勇気がいる。ただ俳句もコトバの表記は見た目重視になってきているとは思う。

彼という文字を散らして波にするように海へと撒かれる遺骨

特選。このレベルになるとプロかと思う。「彼」の「彳」を散らして「波」にするとか、実話であるよりも物語性を感じる。実話だったら怖い短歌だ(怨念が籠もりすぎ)。

和歌も屏風和歌する時代から文字として見た目重視だったのかもしれない。それで漢字よりもひらがなの方が美しい文字になるという書道家さんの意見。YouTubeで中島みゆきは本名は美雪なんだが、横棒が多いのでサインのときに書きやすいようにとひらがなにした、とういうそれも見た目かな。丸っこい文字は見た目がいいのか?

丸文字の
Love letter貰ったら
墓場まで
解釈できない
愛のコトバ  やどかり

Love letterを英語にしてみた。見た目重視。むしろひらがなだったか?

丸文字の
らぶれたあ貰ったら
墓場まで
解釈できない
愛のことば やどかり

<題・テーマ>川野里子さん「飛行機」、俵万智さん「数字を入れる」(テーマ)
~9月16日(月) 午後1時 締め切り~
<題・テーマ>大森静佳さん「架空の生き物(テーマ)、枡野浩一さん「ごめんね/すみません」(テーマ)
~9月30日(月) 午後1時 締め切り~

百人一首


篠弘『疾走する女性歌人』から十首ぐらい。

72 「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの 俵万智

俵万智が登場したときの話題性と拒否感。ひとつは成長しない子供のままでいることとゲーム性と。この歌のアイロニーのコピーライティングだが、そこに定型に押し込めるゲーム性としての短歌と幼さが残る核心的な口語の中にドライなアイロニーを詠む。この受賞作となった連作タイトルが「野球ゲーム」だという。ゲーム感覚が今性なのであって、そこに観念の世界はない。女歌としてみる場合には今までの女性歌人が身体的なセックスを詠んできたのに、あえてそれを感じさせないゲーム性の中にヒロインはいるのだ。幼さも演出である。なによりもその口語の軽さが俵万智の持ち味だった。「缶酎ハイ」を「カンチューハイ」と表記する俵の戦略があると思う。二本という微妙な案配も。

塚本邦雄はそんな俵万智の短歌の暗部を読み取る。

咲くことも散ることもなく天に向く電信柱に吹く春の風 俵万智

少女死するまで炎天の縄跳びのみづからの円駆けぬけられぬ 塚本邦雄

ディックの警察犬とゲームをするハツカネズミの喩えを連想してしまう。永遠に終わらない少女のゲームから息子のゲームにシフトしていく俵万智のしたたかさ。

73 もゆる限りはひとに与えし乳房なれ癌の組成を 何時 いつよりとしらず 中城ふみ子

中城ふみ子の演技性を俵万智の演技性と共通したものとしてみる。それまでの短歌が日常の中に潜む平静な日々の繰り返しだったものが、中城ふみ子は一回性の性を過剰さで持って演じることで短歌を詠む。その過剰な演技性が批判されるのだが、女歌としての短歌がそれ以降活発になっていく。その援護に五島美代子がいた。彼女は最愛の娘を自死させてそれでも歌を詠まねばならなかった。その過剰さは演技ではなく、自らの表現であるとしたのだ。

わが胎にははぐくみし日の組織などこの骨片にはのこらざるべし 五島美代子

74 生ける蛾をこめて捨てたる紙つぶて花の形に朝ひらきをり 森岡貞香

森岡貞香は病気がちの身体性を蛾に象徴させた、その内面性が魅力的で病身に刻み込まれた魔性の孤立感は中城ふみ子とも共通しているという。「白蛾」とは肋骨を削除した胸の歪や背中の損傷の痕らしい。

75くらがりにわが手触れしはひそみたる聴くの無数の固きしべ なりき 葛原妙子

魔性の短歌といえば葛原妙子なのか?彼女の短歌はかなり難しいという。生きる不安の中に肯定するような自然の生業。敗戦とその後の生活の中に自然の美を見出すのかもしれいない。

葛原妙子が凄いのは近藤芳美との短歌論争は葛原の「反写実宣言」というべき短歌の方法論が述べられており、当時のアララギ系の男性歌人からの反発(そこには生活の模範となるような良妻賢母の短歌が求められた)に対しての宣戦布告であり、ちょっと読んでみたいと思った。

葛原妙子「再び女人の歌を閉塞するもの」を読む

76 白きうさぎ雪の山より出でて殺されたれば眼を開き居り 斎藤史

斎藤史は好きな歌人なのは、これはリアリズムなんだよな。「白きうさぎ」に象徴させた2.26事件の死刑囚の挽歌。


77 髪長き 処女おとめ と生れ白百合にぬか  を伏せつつものをこそ思へ 山川美登里

山川美登里は与謝野晶子と双璧とされた明星の歌人だが、釈迢空が「女人短歌」論で述べたのは女歌にはポーズの伝統があるということ。それは男歌の思想性ではなく媚態と言ってもいいのだが、アララギが日常を詠むだけの写生ではそのうちに短歌は滅びるとしていた。まさに、中城ふみ子も俵万智もポーズを決めた歌人だったのだ。その釈迢空が女性短歌を援護した後に、斎藤茂吉、釈迢空という二大巨匠が亡くなり、そしてアララギも衰退していく。それと入れ替わるように現れたのが「女人短歌」だったのだ。

78 かな しとて憎しともいまは分かち得ず独りミシン踏む部屋黄昏 たそが れて 三国玲子

三国玲子はアララギ系列の歌人であり、当時の「女人短歌」の歌人よりは保守的な男性歌人に支持された歌人であり、石川不二子と共に注目された歌人である。石川不二子は農業実習生の短歌なので色気に欠ける。青春短歌かな。

農業実習明日よりあるべく春の夜を軍手・軍足買ひにいでたり 石川不二子

近藤芳美の感想は「石川不二子さんの歌は清潔で素直で同感出来ます。」


79 喪ひしもののかへりをうけとめて耳ながく秋を弥勒は坐せり 山中智恵子

山中智恵子は巫女系幻想短歌。和歌に近いのかもしれない。ひらがなの多用が特徴か?音韻重視?

安永蕗子も巫女系というか仏教系なのかサンスクリット語を多用するという。

水雲る夕べの岸にひしひしとカルパ のごとき石積む 安永蕗子

80 手にうけてわれの心となす 女面おもて 死よりも蒼く頬がれいる 馬場あき子

馬場あき子は『鬼の研究』などがある能楽者である。そこは男社会でありながら女として飛び込んでいった。それは般若が女のお面だったからだと思う。ここで描かれる女面は「般若」なのだ。般若は蛇の化身と言われる。その能舞台の舞いを詠んだ心境なのだ。そうした馬場に対して、母性の優位を歌にした河野裕子がいるのだが、この路線を踏襲しているのが俵万智だと思う。

81 まがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す 河野裕子

それまでの馬場の苦労など一瞥もない破壊力だったという。それに対抗するようなフェミニズム短歌というべき阿木津英の作品。

いにしえの おおきみのごと前髪を吹かれてあゆむ紫木蓮まで

おおきみは女性の天皇だろう。そのスタイルに女性性の優位を詠ったのか?しかし、この時代一番共感を呼んだのは道浦母都子の政治闘争敗北短歌だった。これは一つの短歌というよりも物語として読まれる全共闘世代の挽歌となっているという。俵万智『サラダ記念日』がベストセラーになる前に短歌本でベストセラーになったという『無援の抒情』。

82 催涙ガス避けんと秘かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり 道浦母都子

しかし俵万智『サラダ記念日』がそうした短歌を一掃していくのだった。ライトヴァース(コピーライティング的な)の心地よい口語短歌は、それまでの概念である短歌を一掃して一人勝ちの様相を得ていく。今もその流れは続いているように思える。

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