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青猫は孤独だ
『青猫 』萩原朔太郎(Kindle版)
明治から昭和にかけて芸術的な口語自由詩を確立した詩人、萩原朔太郎の第二詩集。1923(大正12)年に新潮社より刊行され、大正6〜11年の作品を収録している。「序」では、自らの作品を「しづかなる霊魂のノスタルヂヤ」だと分析し、激情や興奮ではなく、描写的な「装飾音」であり、自分にとって「悲しき慰安」だと述べた。表題作でもある「青猫」は、都市を描写的な眼で見る主体を取り入れた、哀愁感漂う作品となっている。
詩と詩論。先に詩論「自由詩のリズムに就いて」を読んでから朔太郎の詩を読むと朔太郎の言いたいことがよりよく理解できる。
朔太郎は、詩の音律は音楽であり、それは定形の韻文にあるのではない。内なる心(精神)に流れる音楽みたいなもので、それは自由詩が定形の韻文でなくても散文でないのはその中に音楽があるからだという。自由詩でただ散文なのとは訳が違う。音楽性こそ詩の原点であるというような。
俳句の定形と自由律を考えるとなるほどと思う。音楽性か?だから自由律でも単独よりも繋がり(連句)として読むと音楽を感じられるのかもしれない。あと結社とか句会も共同体としての場(座)の文学であるというのはそういうことなんだな。詩人はもっと孤独であるような。