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シン・俳句レッスン117

花水木

花水木というと俳句よりも一青窈の歌だった。

袖で拭くはなたれ小僧や花水木

「袖拭く」は涙というのは古典和歌の常套句なのだが、そこに俗を入れてみた。花水木という憧れのお姉さんとの取り合わせだ。

煙突の見える俳句ー林田紀音夫の煙突と日本映画

今泉康弘『人はそれを俳句と呼ぶー新興俳句から高柳重信ー』から「煙突の見える俳句ー林田紀音夫の煙突と日本映画」より。


煙突にのぞかれて日々死にきれず  林田紀音夫

敗戦直後の貧しさを詠んだ無季俳句。「煙突」という言葉が象徴するのは「貧乏」という生活で他にも紀音夫は「煙突」の俳句は多数ある。

煙突が立つ寒釣のさびしき天 紀音夫
都市の日暮れは煙突をまづさびしくする

紀音夫の俳句の雰囲気を伝えている映画に『煙突の見える場所』がある。

紀音夫も映画が好きで映画の俳句も作っているが、煙突の俳句は映画より先に作っていた。ただそこに山口誓子のモンタージュの手法があったのだと思われる。映画と俳句の共通点。

映画より放たれた傘の下狭し  林田紀音夫
炭鉱の飢餓挿みて映画は消ゆ

あるいは漫画家のつげ義春が描いた「おばけ煙突」。しかし映画の煙突は貧しさだけではなく高度成長期の豊かさも描いているのだ。例えば木下恵介『この天の虹』や小津の映画でも煙突が豊かさのシンボルとして映し出す。その煙突は高度成長期の製鉄所や火力発電の豊かさの象徴であった。

ところが林田紀音夫はその時代でも煙突を貧しさの象徴としての句を詠んでいた。

煙突が殖え骨箱の屋根重なる  林田紀音夫
旋盤に鉄焦げてわが戦後つづく

紀音夫は敗戦後の貧窮生活からスタートした俳人だった。こうした紀音夫の作風に対して「死」「病」「貧」が多いと批判も受けた。その象徴性があまりにも型どおりであるというのだ。当時の社会性俳句に対しても個性化を求める声と共に左翼的記号を嫌う傾向にあった。しかし、伝統俳句の者たちも季語という自然の言葉をマンネリに使う傾向があるではないか。桜の句を見ればそれはマンネリズムといわれずに日本の伝統になるのである。

紀音夫の煙突の貧しさは、無季俳句が季語に成り代わる大きな要素を持っているのだ。

雨音の戦場に似て生き残る  林田紀音夫
戦死者の足あと辿り渚あり

紀音夫の俳句は戦争と大きく結びついているのだ。そこに戦後の高度成長期であっても無季という暗さを引きずっているのだった。

冬空の煙突のもと友よいかに  三谷昭

1973年の句だが、この句が林田紀音夫の句から「煙突」を通じて、戦後の貧しさの友だと連想される。この「煙突」の貧しさを本意として形作ったのが紀音夫の句だった。しかし、これをプロレタリア俳句というもので読むものもいる。例えばプロレタリア俳句の「煙突」として

俺たちのいない工場は星空の煙突ばかり 栗林一石路

その六十年後三橋敏雄は煙突男(ストライキで工場の煙突によじ登った男)の俳句を作った。

昔煙突男ありけり永きゆふべ  三橋敏雄

『伊勢物語』の「昔男」の優雅な世界に俗人である煙突男を登場させた。雅さと俗っぽさの二物衝動。

また西東三鬼は1934年に「フロイドに知らせたい」と次の句を詠んだ。

煙突の太しや踊る工女らに  西東三鬼

煙突は男根を象徴するものとして、フロイトをパクったエロ俳句だった。ただそこに資本主義の姿が伺える。「煙突」という言葉一つ取っても、「資本主義」から「戦後の貧しさ」「高度成長期」または「工場ストライキ」さらに公害という問題まで象徴的に移り変わる。いまの煙突のイメージは?銭湯の煙突しかないな。

迷い道また煙突が閉店の湯  宿仮

昭和俳句史(昭和50年代後半)

川名大『昭和俳句史』「俳句の大衆化と戦後世代の新風ー昭和五十年代後半~昭和の終焉」から。

俳句が結社からカルチャー教室化していくに従って、定年退職の者たちや主婦らの活動拠点になり大衆運動化していく。そのことは俳句が受け入れられると共に停滞化を引き起こす問題にもなる。何よりも俳句がビジネスとして、俳人のサラリーマン化が進み、角川一強の時代となっていくのだ。高柳重信が亡くなると『俳句研究』も角川に吸収されていく。そのことに危機感を持った若手俳人が『俳句空間』を創刊するがそれほど反響を得られなかった。

角川一強時代は、まさに虚子時代の到来であり、俳句が個人主義の時代へとなっていく。それは社会や俳句変革運動には関わりたくない者たちによって、ビジネスとしての俳句でありカルチャー化がもたらしたものは停滞でしかあり得ない。そこに角川の主張する伝統俳句がすべてになって新しい俳句が生まれにくい状態になっている。俳句としての智識を伝えるカルチャー化は定年退職者や主婦層の活躍の場になるが、批評の停滞、伝統俳句の一元化という状態になって、俳句の没個性が言われるようになる。

そんな中で少数の俳人が批評活動を続けているような状態であり、そういsたものは表には出てこないで地下活動のような様相になっていく。指導者は伝統俳句の者で占められ彼らが先生としてサラリーマン化していく文化活動でしかなく、芸術と呼ぶことがもはや出来ない状態なのだと思う。それはゲームのように俳句を愉しみ、高得点の者の承認欲求を満足させる場でしかないのだ。そんな状態で新しい刺激的は俳句は生まれてこないで、過去の偉大な俳人の作品を崇めるだけになってしまっている。

俳句のバラエティー化は「俳句甲子園」「プレバト」を生んだのだが、そこから革新的な俳人は生まれているのだろうか?疑問である。

この本が角川から出ているのもそうした事情なのだった。

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