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シン・現代詩レッスン129
四元康祐(翻訳)ディキンソン「信仰について」
エミリ・ディキンソンにとって信仰問題は由々しき問題なのは、代々キリスト教を信仰してきたピューリタニズムの家庭で土地柄もアメリカ・マサチューセッツ州は最初にピューリタンが上陸した土地でもあり、ハーバード大学はボストン市の改革の象徴として、しかしながらディキンソンのいたアマーストは保守的な地域ながら父は大学を設立するなど教育者であった。
ここまで書いて調べたらハーバード大学がピューリタニズムの大学でその分校としてアマースト大学やエミリが入学した女子大学だったそうだ。ピューリタンには二面性があり「自由な」部分と「伝統」の部分と。その「伝統」はキリスト教的なことなのだが、「自由は」個人的な問題で、エミリには神の恩寵が感じられなかった。それなのにほとんどの人が恩寵があるというのだ。それは可怪しいのではないかというのがエミリの論理で、世間というものは上から押し付けられるものでいいのかということなのだ。神についてもそういうことだった。つまり神は平等ではないということなのだ。そのことを強く感じるのは家父長制ということだった。エミリの家でも父の権力が強く母や子供たちは従属させられる。その父親に反発するのがエミリなのだが、そういう部分があるかと思うと父を神のようい尊敬している。父=神と観てしまうのが世間なのである。
そこに父ならばなんでも許されるのか、それは兄が南北戦争で国ために(北軍)に犠牲になろとしたら父が止めて金で解決してしまった。つまり兵隊で死ぬのは家僕のような存在でエリートは生き延びなければならないという優生思想みたいなものがあった(優生思想は言い過ぎか、世間的なことなんだが)。
それに対立していた兄だが父の下に従わざる得ない。エミリはそんな兄とは仲も良く尊敬もしていたのだが、結婚すると兄が当然のように浮気をするのが許せなくなる。それは兄嫁を思ってのことなのだがエミリ自身が女性の地位の低さや母を観て感じていた家父長制なのかもしれない。
『ダンテ、李白に会う 四元康祐翻訳集古典詩篇』からディキンソン「信仰について」。ディキンソンの詩は、哲学的な問いのようなものが多いいのだが、むしろそれは巫女的な宗教感覚なのかもしれない。しかしその聖性は戒律とか厳密にある宗教ではなくアニミニズム(多神教)に近いものだった。いやグノーシス的と言ってもいいのかもしれない。
信仰について
「信心」は素晴らしい発明だ
諸君らの眼が見えている限りにおいては
だが万が一に備えて
顕微鏡も用意しておきたまえ
*
天国が医者だって?
なんでも癒やして下さるって?
死人に飲ます薬が
どこにある
信仰心を持っているのだがそれは世間的な教会信仰ではなくもっと根源的なものなのだ。だから世間の宗教には従えないのだが、内面の神=詩心というものを信仰しているのだった。ここらへんが屈折していた。世間の神は偽の神の信仰だというような。
*
信心が渡るこの吊り橋は
危険極まりない
どんな橋よりもゆらゆら揺れて
それでいてどこよりも混み合っている
信仰への道が綱渡り的な危険なものだという。それは世間(教会)でいう信仰とは違うのだ。教会は混み合ってごみごみしている場所だと皮肉る。
その場限りで生きている人にとって
〈現在〉の意味とは何ぞや?
体裁を取り繕い 始終不満をこぼし 神をもたず
かれらは存在の一切を
〈瞬間〉の浅瀬につみあげている
だが足だけは
〈永遠〉の奔流に浸かって
ほとんどもう流されかけているのである
ここまで書いて四元康祐はディキンソンと書いていたのだ。ディキンスンなのか悩んでしまう。そのように現在の曖昧性は世間によくあるので誰もが深くは追求をしないのだ。ただそれはしっかりしないと世間という時間の川に流されていることなのだろう。ここにディキンスンの詩の時間=夜の時間があるのだった。世間が拝むのは偽の太陽=神なのだ。
もしも私が時の流れになって
人間がどんどん死んでゆくのを見たとしたら
きっと気が変になって自分まで死んじゃうと思うな
私って神様みたいに落ち着いていられないから
ディキンスンが生きた時代は南北戦争があった時期でアメリカではどんどん人が死んでいた。それは目の当たりにする死の光景で神の恩寵を信じられないというのはそういうことだったのだ。だからディキンスン自身が変になっていたのかもしれない。実際にディキンスンは今だったら統合失調症(分裂病)のような人だったのかも(映画ではヒステリー的に描かれているような)。彼女は詩で持ちこたえていたのだ。
神様がむっつりしたお方でよかった
もし正直に胸の内をお明かしになったら
すっごく傷つくでしょうね 花も羞じらうこの星の私たち
ぜーんぜん想われてないに決まっているもの
神の恩寵が現れないで、神は引き籠もりだと言っているのか?むっつりスケベなのかもしれないと皮肉っている。
*
天国売リマス
エデンノ園内陽当良好
但しアダム追放ニ伴ウ差押エ物件
*はこの世界を現しているのか?ディキンスンは句読点の一字一句も拘る性格だという。そんな彼女に取って世界は欺瞞だらけなのだ。それがアメリカの資本主義というピューリタニズムなのかもしれない。
四元康祐はディキンスンが神の信仰について語るときそこにユーモアがあるという。しかし、その裏で泣いているとも言う。それはオーデンの言葉でもあった。
ひと気のないところで悦ぶことは
泣くよりももっと、もっと、むつかしい オーデン
無神論
無神論というのに神が侵入してきてしまう
無神論を信仰しているという
否定神学と誰かがいう
神はエイリアン 神は言葉
神の宝船が留守ならば
七福神の代わりに乗り込むぞ
そう宣言したのは、しゅるしゅる盗人ブルトンか
芭蕉の船長 信天翁のボードレール 紅一点のディキンスン
李白は助平親父の酔っ払い、相手をするのはダンテかな
そして。砂時計をひっくり返し遊んでいるツェランもいる
揃ったろころでどこに進んでいるのか?
天国じゃない地獄巡りという案内嬢
李白はウェルギリウスを置いてきたと
彼女に絡んで ダンテに文句をいう
この船は天国ゆきさと酒を注ぐ