鮎川信夫「私信」
『(続続) 鮎川信夫詩集』 (現代詩文庫 )から「私信」。この詩は「囲繞地」の書き換えであり「私信」というのが、Kuwahara Hideoに捧げられており(のちの「私信」には桑原英夫にと明確にしめされていた)、それは「荒地」の編集者だったかもと思える。それは6冊の雑誌を送ってきた6人の仲間ということで「荒地」のメンバーを指しているのだが「囲繞地」を詩ではなくエッセイと言っていること。またそれは自己韜晦的に卑下して書いたのは自分自身だとするのだが、当時の「荒地」メンバーが自分らのように思っていた(むしろそう読めるのは時代に活を入れるような詩だったからだろう。それが今回の詩は、いつまでもこうして生きている自分はどうなのかという反省である)というその反省の元に描かれたエッセイ(詩)だ。
この人は本当に面倒くさいというか、こういう言い訳をしなければならない人なのだと思う。それはMの死刑執行書の「死んだ男」で死んでいなければいけなかったのに「寝ていた男」として生き続け、さらにこのような弁明の私信まで書かねばならないのだ。まあ、廻りも面倒くさい人ばかりだと思うが(詩人という面倒くさい人たち)。「韜晦」するのは自分もそうだから鮎川信夫の詩が好きなのかもしれない。書いていることは間違ってないと思うがそういう生き方はこの社会や時代では無理なんだと思う。
ご謙遜でしょう。だって現に「死んだ男」も「繋船 ホテルの朝の歌」も「箸の上の男」も『一冊で読む日本の現代詩200』のアンソロジーに掲載されるほどの詩人なのだから。「囲繞地」はなかったけど、これも結構好きな詩で取り上げる人も多いと思う。だから「シン・現代詩レッスン」で取り上げたのだ。「何かが間違っていると感ぜざるえなかった。」というのが本心だろう。
反面「文学の世界にとどまっている者は、私しかいない。」という自信を持っている。そのほとんどは戦争で死に、生き残った者も先に死んで残された者ということなのか。「生きのびてきた」という感覚はわかりすぎるほどわかるような気がする。
これも逆説的に自殺しなかったのは、生理に溺れなかったからであり、鮎川信夫には神に代わる信じられるものがあった。それが文学(詩)だったと思う。だからこの世から転向(あの世か)しないですんだのである。どっちがいいということでもなく、そういう生き方しかできないのなら仕方がないではないか?結びは普通の近況と天気の話で締めくくっているが、七月にストーヴを付けるというのは虚構かもしれない。彼の心がそんなに冷え冷えとしているのかもしれない。