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シン・俳句レッスン55

見事に柿がなっている。柿がなっているだけで盗み食うことは出来ないので一句詠むか?

腹減りや鐘が鳴つたら柿を詠む

子規から句から抜け出したいのが課題だった。

「季語を味わう」

青木亮人『教養としての俳句』から。俳句はどんなときでも日常性の中に癒やしを求めることができる。それが季語の力という日本古来の伝統として、虚子は季語の重要性を言ったのか。戦時にも季語はあり、そういう日常俳句を大切にしようということだが、一方で戦争俳句(無季俳句)は拒んだのだった。それが新興俳句の弾圧事件と共に衰退に繋がっていくのだ。戦時ということを考えれば仕方がないことと言えども当時俳句協会(日本文学報国会俳句部会)会長)の長であった虚子の責任は逃れ得ないと思う。

俳句いまむかし  

『俳句いまむかし』坪内稔典。過去の名句と現代俳句の名句の読み比べ。

柿日和みんなで見ている風の道  藪ノ内君代

見ているだけの柿が多くなったこの頃。そうだ、空き家に柿がたわわに成っている句をかつて作ったが忘れてしまった。

主(あるじ)なし柿はたわわに落ちるだけ  宿仮

柿ふたつしあわせの夜寒かな  水上勉

柿の句よりも柿の食べ方の注釈に興味ある。柿をすりつぶして、はったい粉と混ぜると餅のように固くなり、それが美味しい菓子になるという。和風チョコレート、落雁、あるいは羊羹のようなってどんな味なのか食べてみたい。

柿が好き丸ごとが好き子規が好き  小川千子

ここにも子規の呪縛から逃れない人がいた。他に子規の句で

柿喰ひの俳句好みしと伝ふべし  正岡子規

かきくけこくはではいかでたちつてと  松永貞徳

江戸の大俳人が作った句。意味は柿を食べないでどう帰ろうかというのを五十音で表現したという。柿は俗語なので和歌には詠まれなかった。俳句ならではの果物だという。

茸包む「秋田魁新報」紙  浅井民子

新聞紙は貴重な梱包材だったんだよな。それによって故郷のニュースとか知るのかな。情緒がある。

爛々と昼の星見え菌(きのこ)生え  高浜虚子

飯田龍太がこの句の菌は松茸とか限定しないほうがいいという。菌という言葉がさらに広がっていく感じか?茸では一箇所に表出する感じなのか?坪内稔典は虚子の最高傑作という。

りんごむくうさぎの耳を立ててむく  内山花葉

母の思い出だろう。うさぎに模するということを考えた人は偉大だな。江戸の歳時記はりんごは夏の季語だったという。今は秋の季語か。年中あるような感じだけどね。

世界病むを語りつつ林檎裸となる  中村草田男

なんともわからない句だが、聖書の神話の話なのか?林檎を剥いているのを大げさに言ったような句でもある。酸っぱい林檎だな。

秋の夜の何となしの世界地図  宮崎すみ

このぐらいの自然さで俳句を詠みたいよな。

秋の夜や旅の男の針仕事  小林一茶

これもいい。そう言えば針で指を指したところが痛い。最近不器用になっていく。特に冬だと手が凍えて怪我がし易い。今日も包丁で手を切ったし。

晩秋の午前一時にたこ焼きチン  朝倉晴美

たこ焼きでなくてもいいと思うのだが、たこ焼きが喰いたくなる句ではあるな。昔は「秋の暮」が人気だったのだが、「現代俳句」では「晩秋」の方が人気があるという。そういうもんか?

晩秋のはるかな音へ象の耳  有馬朗人(あきと)

昔も「晩秋」って使っているではないか?モダンな感じなのかな。抽象的な俳句だよな。写生句ではない。

四大(地・水・火・風)をめぐる俳句

夏石番矢『超早わかり現代俳句マニュアル』から。四大は神話的な世界を構成する4元素をいう。これは仏教的な思想なのだそうだ。古代エジプトやギリシヤも同じような考えがあるから自然界を支配するものとして馴染み深いのかもしれない。もっとも我々が知るのはゲームの世界で特性として風使いとか水使いとか楽しんでいるわけである。ならばそれを俳句にも活かそうではないかということである。

蓮華田に遊ぶ体を地に立てて  林桂

地はやはり土地の記憶という定住者の思想なのかな。その土地の持っている力という感じか?体が地と結びついている。大地は母性的という。

土に穫れしものばかり食べ星の秋  山下知津子

土の恵み。豊穣の女神というイメージ。農耕起源説か?

そんな水平軸に対して垂直軸の天災があるという。

地の底の声聞こゆる八ヶ岳颪(やつおろし)  保坂敏子

「八ヶ岳颪」は地元でしか通じない言葉なのか?探すのに苦労した。

水平軸で活性化させる水の力。

膝までを水にゆだねる暮春かな  今井豊

一行書きはすべての言葉を最後の「帯よ」へ収束させようとする性質がある。

垂直な水は非日常的な姿を表す

千年の留守に瀑布を掛けておく  夏石番矢

大地ほど恐怖はないが水は恐怖をも伝える。

颱風のゆくへ水底だけが知る  能村研三

火は生命力の源泉

雪後なり仄かに掌を透くマッチの火  沢好摩

マッチ売りの少女か?

拡大する情念。

火柱の中にわたしの駅がある  大西泰世

現実世界を超越した神秘さもある。

狐火や山づくしなる母の国  大木あまり

地・水・火・風のうちもっとも自由なのが風である。風狂?

曼珠沙華風を鏡と思わずや  宇多喜代子

空虚な終末

風は息をひそめて過ぎぬ二人静  片山由美子

空虚な破壊力。

風吹かば丘の麒麟の鏖(みなごろし)  夏石番矢

視界の魔術

あきかぜや瞬くと見ゆ曲馬団  沢好摩

佐好摩という人の句は好きかもしれない。

四大の属性を考えてみると面白いかも。とりあえず私は水だな。風を目指している。地にはなれそうもない。火には年を取りすぎているような。

山口誓子

テキストは『山口誓子 自選自解』

七月の青嶺(あおね)まぢかく熔鑛爐(ようこうろ)

山口誓子『凍港』

九州の八幡製鉄所を見学したときの句。「熔鑛爐」と対比した「七月の青嶺」の方に感動したのだった。燃える赤と鮮やかな青か?「青嶺」は深緑の山ということだった。

釘うてる天主の手足露の花圃

山口誓子『凍港』

長崎の天主堂に寄ったときの句。天主はキリスト象で釘を打った手に血が流れている。そんなキリスト像が花圃の中に立っていた。

かの巫女の手焙の手を戀ひわたる

山口誓子『凍港』

奈良の春日大社で巫女の舞を見たときの句。「かも」はその巫女との距離感だという。手のひらだけに恋したということだった。

落ち羽子に潮の穂さきに走りて来 

山口誓子『凍港』

誓子は砂浜での羽子板つきを幻想か現実かその境界上にある情景だという。落ちた羽子板の羽根に波が寄せてくる幻想的な情景。

手花火に妹がかひなの照らさるる

山口誓子『凍港』

妹は婚約者の妻だという。「かいな」が照らされる姿は浴衣なんだろうか?色っぽい句だった。

はたはたはわぎもが肩を超えゆけり

山口誓子『凍港』

「はたはた」はバッタ。「わぎも」は「吾妹」。これも新婚旅行の句だという。

廻廊を鹿の子が驅くる伽藍かな

山口誓子『凍港』

奈良の東大寺。その中を駆け巡る鹿の子。伽藍は大仏殿だという。神話的イメージか。

捕鯨船嗄れたる汽笛(ふえ)をならしけり

山口誓子『凍港』

白浜(和歌山)に捕鯨船が入っていた頃の句。汽笛がかすれていたのが印象的だと思ったという。

青海のめらめらと燃ゆ走馬燈

山口誓子『凍港』

「走馬燈」に描かれていた青海が回転してめらめら燃えているのだという。

かりかりと蟷螂の皃を食む

山口誓子『凍港』

「顔」ではなく「皃」。この漢字も白の下は払う形なのだが見つけられなかった。難しい漢字使うなよ。俳人はそういうところで差別化を図るからな。

疲れたんでこのへんで。

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