シン・俳句レッスン2
「シン・俳句レッスン」二回目。今日も一回目とだいたい同じ感じで進めていく。
「新興俳句の系譜」から渡辺白泉
川名大『現代俳句』から「新興俳句の系譜」から渡辺白泉。
そういえば渡辺白泉と荻原井泉水がごっちゃになっていた。両方とも「新興俳句」のリーダーっぽいのだが、荻原井泉水は自由律のリーダー的存在だった。
今日は渡辺白泉の新興俳句。白泉は
というように俳句よりは短詩としての可能性を見ていたようだ。だから俳句に変わる「季語」を捨てるからには、それ以上の強い語句が必要だと考えていた。それが「戦争」や「労働」なのである。無季俳句の普遍的方法がこの時に確立したという。
中村草田男や加藤楸邨の「人間探求派」はあくまでも自己の直接体験を詠んだのに対して、白泉は想像力を伴う間接体験もありとした。言葉のリアリティに文学のリアリティを求めたのだ。そして、終生、社会や国家に対する鋭い批判精神を持った。昭和15年「京大俳句」弾圧事件で検挙され、戦後も俳壇とは深く関わることをしなかった。それでも『白泉句集』をひっそり残して、逝ったという。これは読みたい。
これは有季定型か?「カンナ」は夏の季語。真っ赤な花と鶏の鶏冠の共通性だが、カンナの花は無視しているウィットに富んだ句だという。鶏は見えているものが見えないという。そういえば鶏が真っ赤な蛇口を仲間と見たYou Tubeもあったけど。
「銃後」は「前線」と対義語であり、「銃後を護り」は当時「愛国婦人会」などで言われた言葉。町にも戦争が忍び寄る。批判精神を孕んだ新興無季俳句の傑作。
「巨大な兵」となるも戦争では役にたたない身体であるが存在感を増しているという戦争アイロニー。
漢江陥落祝賀行事の提灯行列。「提燈」と題する連作五句の一つ。
多くの俳人が戦意高揚俳句を作っていた中でこの句を詠んでいた白泉。これこそ新興無季俳句の傑作。
上官が一兵卒に対して云う「前に出ろ」を敗戦の玉音放送で詠んでいる。ほとんどラジオの声は雑音も多く抽象的な言葉で理解していたとは言い難い。ただ敗戦の雰囲気が割腹自殺やまだ戦うという人も少なく無かったという。その後に民主主義バンザイになっていく。
「瑞照りの蛇」は日中に脱皮をしている蛇だという。「瑞蛇集」としてまとめて詠まれた一句。孤独な嫌われ者の蛇に託して自身を詠んだ句だという。
もう一度「原爆」をという句だという。戦時も戦後も変わらぬ無反省な国民を諌めた句だという。
「メケメケ」は美輪明宏が戦後に歌ったシャンソン。「ドドンパ」は渡辺マリが歌った「東京ドドンパ娘」。前年に安保闘争に浅沼社会党委員長が暗殺された。それでも時代は高度成長期に入っており自棄気味な句だという。
西東三鬼とは新興俳句の頃は盟友だったが弾圧事件後は連絡が一切途絶えたという。二人の俳句観の違いがあったが存在を気にし続けた。
三鬼の句の後に続く句で白泉の三鬼に対する忸怩たる思いが伝わってくる。
岸本尚毅『十七音の可能性』
「五七五の変奏──変則的定形派」
有季定型の俳句にも字余りや字足らずが名句として上げられる。最初、それに戸惑ったが理屈を読むとなるほどと思うが、それでも初心者は有季定型を守れという不条理さ。リズムっていうことなんだが、どうも自分のリズムより世界のリズムの方が大切らしい。それは日本人古来からある「花鳥諷詠」のリズムだとか言われてもな。都会人はなかなか感じることが出来ないから無季に走るのではないのか?
山口青邨の句は下七が字余り。醜さを出したのか?「吾も」が余計なんだが、「醜し」と共感はしている。都会では鮭は切り身だが。
有季定型だが陽水のパロディだから川柳かもしれない
虚子が字足らずとなると、意味あってのことだと言い、「と言ひて」を「と、言ひて」と句読点で一拍置いて読む、とすると「五音」というような。さらに「と」で始める斬新さ(持ち上げる)。普通は「~と」の形で「と」の前にあらゆる言葉が入る可能性がある。虚子恐るべしとなる。素人がこれやったら、お前俳句分かってないとなるのが必死だが。
句跨りはむしろテクニックとして推奨されるべきなのだと思う。つまり個人(ここでは吾)のリズムと自然のリズムの違いなのだが、俳句にすると最後は同じリズムで終わるということかもしれない。これは、
と読むという。落椿の自然の流れがある、そこに吾が介入してきてリズムを乱す。しかし最後は落椿とも流れに落ちていく。
これまではたまにある変化球だが、それを俳句の文体にまでしてしまったのが赤尾兜子(あかおとうし)だった。だいたい俳句の「~子」と書いて「~し」と読ますのはなんなんだろう?女子と間違えるじゃないか?なんか理由があるのか、子分とか?
川の句は、先の「落椿」の句と一緒で川で吾と重なっていくと考えれば意味が見えてくると思う。川は俳句の流れだと考えれば整合性が付く。
赤尾兜子はその他に上五が重く(字余り)の句が多いという。
萩原朔太郎『青猫』の「自由詩のリズムに就いて」を読んでみると朔太郎は詩の音律は音楽であり、それは定形の韻文にあるのではない。内なる心(精神)に流れる音楽性みたいなもので、それは自由詩が定形の韻文でなくても散文でないのはその中に音楽があるからだという。自由律でただ散文なのとは訳が違う。音楽性こそ詩の原点であるというような。俳句の定形と自由律を考えるとなるほどと思う。
赤尾兜子の俳句の音楽性は伝統俳句のリズムとは違うが俳句の中にあるということなのか?さらに阿部完市という俳人も意識的に変則俳句の俳人がいたのだった。
それは「アフリカ」や「ロシア」という日本の外部だから俳句として成り立つのか?阿部完市は外部に俳句性を求めるからだろうか?
彼等の俳句は「自由律」ではないという。「変則」という自らのリズムを持っており、それは朔太郎の自由詩の中の音楽性という言葉と繋がってくるのかもしれない。
「言葉が導く風景」
俳句もまた「自分探し」(アイデンティティ)を求めてきた文学だという。例えば三橋敏雄は言う。
俳句の「発句」的成り立ちを考えると「俳諧」から来ている。そこに近代詩のようなアイデンティティを求めた正岡子規の「俳句」が誕生した。しかし、それは近代詩が求めていた自由詩とは違う。詩であるかどうかがまず問われる。そして俳句と詩との違いを。