彼女の存在はシェエラザード
『またの名をグレイス シーズン1』(Netflixカナダ/2017)監督メアリーハロン 出演サラ・ガドン/アンナ・パキン/ザッカリー・リーヴァイ/レベッカ・リディアード
『侍女の物語』のマーガレット・アトウッド原作。どっちかというとこっちが『侍女の物語』とタイトルしてもいいような内容。『侍女の物語』もTVドラマ化されたが、結末までたどり着かず原作では『誓願』という続編が書かれた(これもドラマ化されているようだが未見)。こちらは完結している。
TVドラマシリーズで映画と違うのは毎回繰り返されるエピソードが一つの話として展開される。短編連作のような形は、TVドラマ化として面白く考えられた演出だ。
『またの名をグレイス シーズン1』は、殺人者の判決を受けた侍女グレイスが精神科医の分析を受けて、過去を語る。その積み重ねのエピソードによって犯罪の全貌が明らかになるというドラマ。毎回、次はどんな話が語られるのかわくわく感がいっぱいなのだ(犯罪ドラマのミステリー)。
その語り方は『アラビアン・ナイト(千一夜物語)』の形式を踏まえている。生贄と捧げられたシェエラザードが王の為に夜伽話を繰り返し、面白かったら生かされつまらないと思ったら殺される。実にわかりやすいエンタメ手法だが、それを語り手シェラザード=グレイスと王=精神科医という構図の中で展開していくメタフィクション(入れ子構造のフィクション)なのだ。
そこでグレイスは、どういう人間なのか。犯罪者なのか?無実の被害者なのか?それをグレイスは意識的にか無意識的にか語るのである。グレイスを客観視する被験者、彼女はグレイスの過去を語りながら侍女性について語る。それは虐待され性的暴力にさらされた侍女グレイスなのだ。
精神科医は上から目線で眺める人だが、次第にグレイスと恋愛関係におちいる。それは精神分析でよくあるようなドラマだ(本当はあってはならないのだけど、医者も人間だ)。その部分で医者も男だと書かねばならない。つまり侍女に命令し服従させる男こそ、シェエラザードを生贄として祭り上げる王なのだということ。その展開は最後で明らかにされる。
また実際の犯罪事件もグレイスの意識的なものなのか無意識的なものなのかよくわからないストーリーになっている(2度注意して見ればわかるかも)。グレイスが意識を喪って亡霊に憑かれるからだ。その亡霊たちが王に殺された侍女たちなのである。
とりわけグレイスの唯一の親友メアリーの存在が大きい。彼女の夢(自由の国アメリカへ解放されること)、なによりも奴隷制(侍女制)を解体し解放することだったのだ。その最中での堕胎死(中絶死)。彼女はメアリーの亡霊を内に取り込んでしまった。
ドラマは精神分析医の科学的知見とそれと対抗する文学通路(そこで引用される文学も面白い)。文学という闇の部分は明らかにされたのか?殺人と拷問、キリスト的な魔女狩り、あの時代を伺う科学と霊性。「死」と「エロス」の根源的な精神世界への問いが、アトウッドの中に存在する。ゴシックロマン・ミステリーという面白さ。