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アイヌのイオマンテ(霊送り)でもあるドキュメンタリー

『チロンヌプカムイ イオマンテ』(2021年/日本)監督:北村皆雄 語り:豊川容子

35年前に記録したこのアイヌの動物観・世界観は、現在に何を訴えかけているのか。

愛しいキタキツネを、父母(ちちはは)の国へ送る
−アイヌ民族の知られざる祭祀
1986年 カメラはすべてを撮っていた−

アイヌの幻の祭り
1986年、北海道屈斜路湖を臨む美幌峠で、大正時代から75年ぶりに「キタキツネのイオマンテ(霊送り)」が行われた。わが子と同じように育てたキタキツネを、神の国へ送り返す。

ウポポ(歌)とリㇺセ(踊り)の原点
霊魂を神の国へ導く時がくる。イオマンテでは、一言一句に魂を込めカムイノミ(神への祈り)を唱え、ウポポとリㇺセが捧げられる。アイヌの歌と踊りの原点がここにある。

話題の『ゴールデン・カムイ』監修者・中川裕が全訳、監修したというドキュメンタリー。「イオマンテ」は祭り「チロンヌプカムイ」は「キタキツネのカムイ」。カムイは神という意味らしいが、自然界に住むあらゆるものが「カムイ」と呼ばれる存在。

チラシを読んだときは、「送る」ということを「放つ」かと思ってキタキツネを逃がすのかと思ったら生贄祭りだった。狩猟民族の自然との厳しい掟がある。それは、『ゴールデン・カムイ』でもアシリバさんが体現する自然の厳しさでもあるのだ。まあ、農耕民族とは違う風習だけど、それを土人と言って滅ぼしていくのは我々の方なのだ。

1986年には、まだそういう祭りも行われていたのだろうが、やがて観光地化(『北の国から』ブーム?)されて、今では変わり果てた姿となっている。まあ自然が環境破壊されるに従って彼らも自然を頼りに生きることは困難な状況を伝えている。例えば経済的に生きる為に土産物屋をやらなければならいような観光地化だ。それは長い目で見ると、彼らの子孫を都会への憧れとして送ることになるのだ。

1986年に撮影した中学生と小学生のインタビューがあったが、彼らはそう言った風習を拒絶していく。それは日本人の教育として、彼らをそう仕向けていくのだろう。まあ、前半はうとうと寝ていたのだが。キタキツネのイオマンテ(霊送り)」のところは目覚めて神妙になった。

最近映画館で眠っても肝心なシーンは目覚めるという特殊技能を身につけている。家で観る映画はそのまま寝てしまうのだが。映画館で観る緊張感?かな。

イオマンテということにしても、生贄の儀式だよな。キタキツネを送るとかいうから逃がすのかと思ったら毛皮を剥いで頭を切り取って串に刺していた。アイヌが狩猟民族だからなんだろうな。北島三郎が歌っていたので知っていたが厳密な意味は知らなかった。

アイヌの歌と踊りが見れてよかった。これは日本人にないものだった。歌声でも鶴の鳴き声の真似だった。お婆さんでもコロコロ喉で転がすように声が出るのだった。アラブの闘いや祝福するときのような合いの手のような声を連想した。遊牧民特有の発声法なのかな。遠くの人にも響かせなければならないからなのか?

踊りも動物に倣ったものや狩猟の真似事を小さいうちから覚えさせている。それはアイヌの伝統であるのだが、一種の学習でもあるのだ。民族教育で踊りや歌が重視されるのもそういうことだろう。だから、彼らの子孫の踊りや歌が伝わらなくなると彼らの文化は滅びていく。

それはある面でナショナリズムと協調性がいいのかもしれない。グローバルな世界では、そこから抜け出したいという者も多いのだろう。カメラはそれを伝えていたと共に記録していた。不世出の伝承者・日川エカシ(語り部)はもうこの世界にはいないのだ。

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