T・S・エリオット「荒地(部分)」鮎川信夫翻訳
『(続続) 鮎川信夫詩集』 (現代詩文庫 )からT・S・エリオット「荒地(部分)」鮎川信夫翻訳。何よりも冒頭の「四月はいちばん酷い月」が有名だった。でも今回注目したのはエピグラフの言葉。普通ここは有名人の言葉とか引用するのだが、これはエリオットの言葉なのか(エリオットはすでに偉大な詩人なのでそれを見越して書いたのか)?「クマエ」はギリシア悲劇の。ウェルギリウスの『アエネーイス』に登場する「クマエのシビュラ(巫女)」ということだった。
「アエネーイス」は最初の詩ということらしい。つまり詩が死から始まったということなのかもしれない。
「四月」よりも「十一月」の方が醜い月のように思えるが。十二月になると終末感よりも新しい年を迎える感じになるのだが。クリスマスもあるし。「もういくつ寝るとお正月」の気分なのだ。十一月はただただ虚しい感じがしてしまう。今からそんな気分でどうすんだという気持ちもあるのだが。「四月はいちばん酷い月」とか言っているのは、まだまだ青いよな。それが青春なんだぜ!とハッパをかけたくなる。青春時代は後から思うと懐かしくなるというのは歌にもあるではないか?
欲情しかないというのはそうなのだが、欲情に到る対象がいるのも青春時代なのである。リラの花というのは、どうなんだろう。白菊よりはいいと思うが。
冬のイメージがそういう感じなんだ。雪がめったに降らないからただ空っ風で寒いというイメージしかない。昨日も帰りは木枯らし一号かと思うぐらい寒かった。乾いた球根で「球根爆弾」を連想してしまう。
「ヒヤシンス娘」は「ひまわり娘」を思い出す。この辺は懐メロオンパレードだな。「イルカに乗った少年」は出しません。
今日はやりやすいテーマかもしれない。