セロニアスパウエルのピアノはニカの夢
『ポートレイト・オブ・セロニアス』バド・パウエル(p)、ピエール・ミシュロ(b)、ケニー・クラーク(d)1961年12月パリ録音
昨日セロニアス・モンクを取り上げていたので今日はバド・パウエル。パウエルには40年代後半から50年代前半のこれが天才といわれたアルバムがいくつかあるが、今日は晩年のパウエルがよれよれになった頃の演奏。それでもここでのパウエルは見事に全盛期の勢いを取り戻している。それは、セロニアス・モンクとの再開にあったようだ。
晩年のパウエル(50年代前半が全盛期だった)は、好不調の波が激しく以前のように血気迫るピアノでもないのだが、このアルバムはヨーロッパ滞在時代においても、パウエルのピアノが輝きを放った一瞬であった。それは、旧知のモンクがヨーロッパ遠征での出会いだという。パウエルとモンクの出会いこそがジャズ・ピアノ史において欠かすことが出来ない重要なことだった。
因みにこのジャケットの絵は、パノニカ夫人自身の筆による抽象画が使われている。パノニカ夫人といえば前章のセロニアス・モンクのアルバムでも紹介したジャズのパトロン夫人だが、パウエルが精神疾患で行方不明になったときにニュー・ヨーク中を探したそうだ。二人の恩人に捧げるかのように、このときのピアノは好調で声の出もいい(ピアノを弾くと唸り声をあげるのがパウエル・スタイル)。
ここで取り上げられたセロニアス・モンクの曲をやっていながら、それがパウエル・スタイルのピアノになっている。モンクとパウエルのピアノはぜんぜん違うのに、それほどぴったしくるのは、精神のどこかで繋がっているのだ。ビ・バップの頃にジャズという魂(ソウル)で繋がっていた。それとドラムがビ・バップの頃で共演したケニー・クラークというのもいい影響だったのかもしれない。因みにベースはマイルス『死刑台のエレベーター』で共演していたフランスの人気ベーシスト、ピエール・ミシュロ。
(ジャズ・再入門No.8)