シン・俳句レッスン113
桜
桜は当たり前のようにありそうで難しい。もともと桜がそれほど好きでもないし。
このぐらいかな。今日の目標句。
花がダブっているけど模様だからいいとする。
NHK俳句
堀田季何は、まだ良くわからんな。第一週は初心者ということで、基本的なこととか。説明はだめだと言う。何が説明なのだろうか?写生ということは説明ではないのか?写生と説明の違い。
俳諧師(井原西鶴、池西言水、山口素堂)
加藤郁乎『俳諧志』から。
井原西鶴
西鶴は物語作家になる前は俳諧師で談林派の総大将宗因の弟子だった。
俳諧の宗匠(師匠)になった人だという。西鶴は独吟選六百句とか、即興で作ったというがあまり俳諧では注目されなかったのかな。
西鶴は発句より連句にすぐれていたという。それも即興の力か。ジャズでいうインプロヴァイザーとしての西鶴は、芭蕉より其角に親近感を抱いたようだ。。
池西言水
「木枯の言水」と言われた句が名句とされる。
芥川にも木枯らしの句があったが言水の影響だろうか?
「紙鳶(いかのぼり)」「裸子(はだかご)」。品川で裸で凧揚げする子供を見て作ったとか。
祭の情景なんだろうか?
それほど難しい句ではないような。「淀も桂」は川の名前。
山口素堂
芭蕉と同門で親しく蕉風開眼の句の脇を付けたという
芭蕉の句は漢詩「寒鴉枯木」に想を得ているが漢詩の知識は素堂から教えを請うたとある。
これは青葉郭公鰹と季語が3つも入った句で有名。季重なりもこのぐらいなら名句になる。
人それを俳句と呼ぶ
今泉康弘『人それを俳句と呼ぶ』を借りた。新興俳句系の本。
「ラジオのように」
ラジオの深夜放送が若者の共同体となったのに対して、カウンターカルチャーとしての俳句は、疑似伝統(花鳥諷詠は明治に虚子がいい出した伝統)が老人のたまり場(疑似共同体)となっている結社について。昨日『角川 俳句』の感想で書いたことと似たような意見なのだが、新興俳句を弾圧したのが放送協会の企画部長だった小野賢一郎(蕪子)という俳人だったという過去があった。