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内輪もめの保元・平治の乱。その間に平家が権力を徐々に握っていく。
『双調平家物語8 - 保元の巻(承前) 平治の巻I』橋本治 (中公文庫)
内容説明
近衛帝崩御で、関白忠通は守仁王の擁立を策するが、少納言入道・信西の進言により雅仁親王が踐祚する。忠通は、藤原氏の長者の座を父忠実と異母弟頼長の手から奪い取らんがため、保元の乱を惹き起こすことになる「新院御謀叛」を策謀する。かくして鳥羽院崩御からわずか九日後、崇徳院と後白河帝、忠通と頼長は兵を交え争うが、その結果、進んで戦いの指揮を取り、勝者となった信西が、御世の政局を動かしうる者となった。
目次
保元の巻(承前)(流星;後白河帝踐祚;一院崩御;新院御謀叛;合戦前夜;走狗招喚;頼長入京;信西刮眼;為朝進言;兵揃;白河夜討;為義警戒義朝苦戦;北殿炎上)
平治の巻1(敗残;急落摂関家;頼長最期;新院御出家;為義出頭;朝廷衰退;斬首復活;狼狽)
少納言入道・信西は、藤原南家の貴族であり、それまで摂関家だった藤原頼長は藤原北家であるから、藤原家の勢力争いとともに、美福門院(藤原得子)と待賢門院(藤原璋子)の皇后としての争いもあった。そのポイントになるのが鳥羽院であり待賢門院よりも美福門院に付いたので、雅仁親王が後白河天皇になって権力の移行の中で失墜していくのが藤原頼長と崇徳新院であり、鳥羽院は多少崇徳新院に恨みがあったというか、白河院の愛人でもあった待賢門院が許せなかったのかと思う。そのごたごたを冷静に受け止めたのが知将とも言われる少納言入道・信西ではなかったか。
この時代は乱世で兄弟間や親子間の争いが絶えないのだが、それをコントロールする天皇は摂関家に丸投げしていたので、冷静な助言というより相続の恨みというような、そんな中で女院の力は馬鹿に出来なかったというか、母が子を守る力が強いのだった。そんな中で誕生しらのが後白河天皇であった。
それにより藤原氏の摂関政治が崩れ始める。この騒動の中で保元の乱、平時の乱が起きるのだが、そのことによって力を示したのが平家の清盛だった。源為義と長男義朝の争い。さらに為朝の活躍、この辺の名前は間際らしいが親子間兄弟間の争いで新院についた父為義が負けるのだが、息子たちのことを考えて出家するが許されず斬首になるようだ。このあたりは義理人情の世界で盛り上がるが斬首になるのは次の巻きなのか。武勇の誉れ高い源氏方が内輪もめで衰退していく中で力を付けてきた平家が頭角を現してくる。摂関家の藤原氏も内輪もめで力を無くしていく。天皇家も内輪もめだった。平家だけがそうした内輪もめもなく権力を手にしていくのだった。