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教育的な「かいじゅう」映画

『かいじゅうたちのいるところ』(2009年/アメリカ)監督スパイク・ジョーンズ 出演キャサリン・キーナーマックス・レコーズマーク・ラファロ


モーリス・センダックの名作絵本「かいじゅうたちのいるところ」を、「マルコヴィッチの穴」のスパイク・ジョーンズが映画化。いたずら好きな7歳の少年マックスは、母親とケンカをして家を飛び出し、気がつくと船に乗って大海にこぎ出していた。やがてたどりついた島には見たこともないかいじゅうたちがいて、彼らの王様になったマックスは、かいじゅうたちと一緒に誰もが幸せになれる世界を築こうとするが……。

モーリス・センダックの絵本が原作だと言うので観たが着ぐるみを着た実写だった。日本だとすぐにアニメにすると思うがアメリカは実写にこだわるのか?まあ、着ぐるみでも悪くはないが(その前にアニメとかCGでは撮られていたようだ)。監督がスパイク・ジョーダンなので納得。『バビロン』では怪獣映画みたいな内容だったなと。

第一反抗期の少年の「放蕩息子の帰還」という分析的に観てしまう自分がいる。そんなときにミラン・クンデラの死去でたまたま読んだ『不滅』での言葉。

われわれは誰しもすべて、われわれ自身のなかのある部分によって、時間を超えて生きている。たぶんわれわれはある例外的な瞬間にしか自分の年齢を意識してはいないし、たいていの時間は無年齢でいるのだ。

ミラン・クンデラ『不滅』菅野昭正訳

そう映画を観ているときは年齢を超えて同化しているのだし、それは読書も同じだった。ただのめり込めない部分があるとしたら、それは制作側の意図が透けているからだろう。ここでは放蕩息子がいい子になって母親の元に帰ってくる物語がなんか胡散臭い感じになっていた。

怪獣の暴力性は原初の野生だとは思うのだがいろんなものが透けて見えてしまう。例えば戦争とか。

映像的にいえば砂漠のシーンは良かったと思う。それはチラシの写真にもなっていた。『星の王子さま』を思い出すような。怪獣と二人で砂漠の地に彷徨い込んだというような。それも綺麗な映像化されているのだが。

センダックの中に怪獣や妖精たちの原初に憧れる気持ちがあるのは事実だろうか?すでにそういう世界が失われたからこそ愛おしい怪獣たちの世界なのだろう。


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