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シン・現代詩レッスン61
鮎川信夫『跳躍へのレッスン』
中西進編『詩を読む歓び』から鮎川信夫『跳躍へのレッスン』。鮎川信夫は「荒地」派の詩人だが、この詩はそれほど感じ入るものではなかった。
跳躍へのレッスン
見えがくれに歩きながら
ときには肩をよせあい
迷路をさまよったあげくに
夜明けとも日暮ともつかぬ薄明の中で
ぼくらは崖に立っている
多分終戦後の焼け野原をイメージするのだが、そのイメージがないと平凡に感じてしまう。肩をよせあいというのだから恋人同士なのだろう。迷路ってラブホテル街じゃないんだよな。薄明は白昼のイメージか。ぼくらは崖に立っているってますます不倫カップルの詩のようだ。
コトバへのレッスン
ぼくには分身が見える
でくのぼうの分身が
ぼくの後ろを付いてきていながら
ぼくをちっとも信用しちゃあいない
ときに怒り声が反響して
ぼくの頭の中で響くのだ
恋人と言えないのが駄目なところかもしれない。独り言の世界か?
道に迷ったところで
どちらをむくかは身体にきめさせた
その日その日の
快楽と苦痛の結果がこれだ
欲望のままに身体を信じられる若さなのか?
年取ると明らかに身体は信用できなくなってくる。
いつも騙し騙し精神の声に従うのだった。
でくのぼうはぼくの
身体だったのか。
柔軟性のない無理が効かない身体
でもお前だけが従順だ
お前と心中するつもりはいつでもあるのだから
ぼくの声に従っておくれ
雲切れの空にのぞく
まがまがしい双つ星は
離れまいとして
必死に輝きをましている
いとしきひとよ
あそこまでは跳べる
ぼくらの翼で
試してみようではないか
中西進「いとしきひとよ」の呼びかけを気に入っている様子である「いとしきひと」がいるから跳べるのであって、翼を持った天使と勘違いするんだよな。イカロスの神話を想像するが自滅覚悟のロマンなのかもしれない。情景描写はいいと思うんだが。
でくのぼうとぼくは空を仰ぎ
雲が流れる時間を感じた
ぼくはイカロスになっていた。
そしてビルの屋上から
翔べとでくのぼうに言う
このときでくのぼうは
へなへなとへたり込んで
ぼくは命を救われた