ふるえる短歌が読みたい
『短歌ムック ねむらない樹 vol.8』
笹井宏之賞についてはまだ短歌の読み方がよくわからないのかあまり引っかからなかった。それは世代間ギャップというのもあるのだろう。なんかどうでもいい日常ばかりな気がして。勿論それが悪いことでもないのだが、世界的なニュースとか見てしまうと内向きになっているような。
他者性の欠如というのか、何か短歌を読むことで世界が維新されるような、例えば寺山修司のような短歌を読みたい。前世代的だろうか?
【歌人への手紙】佐藤弓生×廣野翔一
そんな中で誰もが闇の中に身を投じているように感じているらしいのは、【歌人への手紙】佐藤弓生×廣野翔一から感じられることなのだが、それはそういう孤独を持つことが当たり前になってしまっている世界なのか?とも感じる。少なくとも二人には共感する部分があるのだろう。そういう歌人を見つけることなのかと思う。佐藤弓生は女性だった。そういう部分を感じなかった。幻想短歌の人であるようだ。
最初の「われ」を立たせたのは内なる自分かもしれず、下の句は「秋」が主語となって長考を促す。俳句的なのか?異邦人感覚という。
これは難解!
そっか最近の歌は水平思考じゃなく垂直思考なのか?それが諦念のように感じてしまうのかもしれない。近代短歌から脱却できてないのか?
【特集1 第4回笹井宏之賞発表】
水平思考でもその内輪に入れないものを感じてしまうのかもしれない。よく読むと笹井宏之賞の受賞作も水平思考なのだ。極めて個人的な思考により普遍的な世界よりも小さな世界だと感じているのだ。『ノウゼンカズラ』は妹と犬という世界。家族の中の不穏な空気感なのか?違った。私と妹と犬が混ぜ合わさった世界だという。プライベート短歌。
ひと世代前の渡辺松男の世界は、あまりピンと来なかった。抽象的すぎるのか?これが垂直的な思考の短歌かもしれない。理系的。
【特集3 2021年の収穫】
これからの歌集の手引として。読みたいと思ったのは、平岡直子『短い髪も長い髪も炎』か。
ロシアのウクライナ侵攻を連想させるが、たぶんアニメ世界とかの方か?それだとちょっと距離を置くかな。
個人の言葉が社会へ簒奪されてしまう世界にあって、共感性を破壊する言葉が引き金ということなのか?これは幻想短歌のように思えるが。
ウクライナ侵攻はリアリティがないのか、アニメの世界と同等のフィクションと考えているのか?むしろリアリティは三越のライオンを見つけられなかったことを三人称的に表現する。それは自身も虚構性的だということだろうか?
道化なのか。二首目は中原中也の月の詩を連想させる。
犬養楓「第六波、救急救命の前線で」
コロナ禍での社会詠と言われる短歌。切実さは伝わってくるのだが横の繋がりがとして感じられないのは自分の方に問題があるのか。その部分で平岡直子に近いのかもしれない。その中に留まらければならない理由なんてないはずなのに。
この歌はピンと来るな。同調圧力の世界なのかな。下の句が本心だと思う。
そういえばコロナ禍でも仕事を続けていたのは多分そんな為だが仕事を辞めるとなんで働いていられるのだろうと思う。そこまでの責任を負うべき世界なのか?
この短歌は逆の意味で考えさせられる。
井上法子「身をふるはせて──今、私たちで読む田部君子」
この号で一番共感を持てたのが田部君子の短歌の世界か。ミクロの世界だけどひたむきさがあるように感じる。
写生の歌だが蜂が花粉まみれで体を震わせている繊細な状態を詠んでいる。ここまで写生されると見事としか言いようがない。
井戸川射子『木を捨てようと』
どっかで名前を見たようなと思ったら芥川賞作家の人だった。詩人だというのは知っていたが短歌も詠んでいたとは。もしかしたら短歌→詩→小説というパターンなのかもしれない。短歌も一作で独立しているのではなく連作短歌として、『木を捨てようと』という短歌連作という感じか。物語になっていてわかりやすい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?