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もだえ神はあらゆる者に対しての共感から生まれる

『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』田中優子 (集英社新書)

水俣病から新型コロナウイルス、政治的抑圧まで…。
近代資本主義社会の限界と災禍の時代によみがえる世界的文学者の思想!
◆内容紹介◆
水俣病犠牲者たちの苦悶、心象風景と医療カルテなどの記録を織りなして描いた、石牟礼道子の『苦海浄土 わが水俣病』は類例のない作品として、かつて日本社会に深い衝撃を与えた。
だが、『苦海浄土』をはじめとする石牟礼文学の本質は告発だけではない。
そこには江戸以前に連なる豊饒な世界と近代から現代に至る文明の病をも射程に入れた世界が広がる。
経済原理優先で犠牲を無視し、人間と郷土を踏みにじる公害、災害。
それは国策に伴い繰り返される悲劇である。
新型コロナウイルスの蔓延が状況を悪化させる中、石牟礼本人との対談、考察を通し世界的文学者の思想に迫る、評伝的文明批評にして日本論。
今は亡き文学者に著者は問い、考える。
「石牟礼道子ならどう書いたであろう」と。
◆目次◆
◎石牟礼道子の重層する「二つの世界」
◎母系の森の中へーー古代、女性はリーダーであった
◎近代社会と数値
◎江戸時代以前の循環型時間概念
◎道子が夢想した「新しい共同体」
◎島原・天草一揆と水俣闘争はつながっている
◎近代における共同体の喪失
◎「境界」を行き来する魂
◎死者と生物をつなぐ文学の役割
◎生まれ変わる力があれば

石牟礼道子の足跡を辿りなが、家という制度から水俣、さらにもだえ神の精神と解説していく。石牟礼道子というと水俣という事件ばかり思い出されるが人と自然の繋がりにおいて人間が生を営んできた思想の中に古代から伝わる自然神がある。それは獣や虫たちも人と変わらない生を営んできたという水俣の海の姿。チッソを懲らしめるというのではなく、チッソと共に悶えていくという、それは日本人の生活が物質主義によって、失われた世界を想起させるものだ。水俣が天草の乱や東日本大震災と繋がりを持ってその中に生きる人々を晒す。

毒死列島身悶えつつ野辺の花

という一句は福島の汚染水を詠んだような句でドキリとさせられる。そういうところが巫女的なのかなと。

石牟礼道子が祖母が認知症(当時はそのような言葉はなかったが)になり、家を抜け出しては孫の道子が連れ戻していたという。祖母の時代は死んだ祖父は家以外に妾を作り、その祖父から逃げるようであったという。道子が家父長制の中で女性が新聞を読むこともままならない世間にあって、半畳の執筆場所を与えられて、『苦海浄土』を書いていたという。

そういう女性史のなかでもフェミニズムの方向に行かなかったのは共生という理念があったからだろう。

水俣のチッソにしても、チッソの社長を懲らしめるのではなく、共に人間の物質主義が招いた罪として考えようという思想だったという。それは自然界の草や虫や獣も共生していくという思想である。一つのダムを作るのに沈んでいく村と共に地中にいた虫たちが上がってくるという情景に身悶えるというような。それが過去から現在において人間がしてきた禍なのだった。

水俣病の闘争を通して島原の乱を描いた『春の城』ではそういう闘争の中でも女たちは季節の移り変わりについて楽しそうにおしゃべりをしていたという。その共同体はキリスト教者だけではなくその村の誰もが参加して国家に対してノーを突きつけた。最後の日は新月で海が夜光虫で光り、魚にもまといつき、それを捕獲して食べる喜びで死んでいったという。そういう自然との共存は例えば虫や魚にも供養塔を作り感謝していたという自然信仰があったのだ。

水俣病でチッソが隠蔽したことはフクシマで東京電力が隠蔽したことに繋がっていくのだ。それを明らかにするのが彼女の悶え神という巫女的な役目だったのかもしれない。


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