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アットホームな映画作りはこれからも続いて行くのか?

『侍タイムスリッパー』(2024年製作/131分/日本)【監督】安田淳一 【出演】山口馬木也/冨家ノリマサ/沙倉ゆうの/峰蘭太郎/庄野崎謙/福田善晴/紅萬子/井上肇/田村ツトム/安藤彰則 ほか


時は幕末、京の夜。会津藩士・高坂新左衛門は、密命のターゲットである長州藩士と刃を交えた刹那、落雷により気を失う。眼を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所。行く先々で騒ぎを起こしながら、江戸幕府が140年前に滅んだと知り愕然となる新左衛門。一度は死を覚悟したものの、やがて「我が身を立てられるのはこれのみ」と、磨き上げた剣の腕だけを頼りに撮影所の門を叩く。「斬られ役」として生きていくために…。

話題の映画『侍タイムトリッパー』を観た。前から観たいと思っていたのだが、上映館が増えたというニュースにあり、近場のシネコンでも上映されていた。

人から人へ情報の伝わり方は『カメラを止めるな!』に似ているかもしれない。両方とも映画制作の話だった。「カメ止め」(通っぽい言い方)はゾンビ映画を低予算で作りながらそこに家族の関係を描くのだが映画スタッフ(その応援者)も疑似家族的なのが『侍タイムスリッパー』だろうか?

衰退していく時代劇の中で大部屋と言われるところにいる斬られ役の役者にスポットを当てて、彼の活躍を描くのだが、映画館の中がアットホーム的な盛り上がりを見せているのは、最近の日本の映画の鑑賞の仕方も観客一体型になってきているのか?

最近は応援上映とか絶叫上映とかもあり、映画館が観客参加型を求めてたりする。そうした風潮に呼応するかのような正月映画の寅さん映画とか、日本の娯楽作品としてのエンタメ映画のスタイルがあったように思う。それは弱者を巡る喜劇としての映画。

会津藩の侍が現代にタイムスリップする設定も面白い。会津藩は維新勢力(江戸から明治の近代化へ)に敗れた負け組というのも共感を得やすくなっている。実際に現在にタイムスリップしてくるのも侍としての特技はそれほど役立たず、時代劇の斬られ役に生きることを見出すのだ。役立たずの侍が昔ながらの礼儀作法や儒教的な精神(論語を殺陣師の師匠に暗証してみせる)を持っている(そこは古き良き時代のノスタルジーを感じないわけではない)。

、負け組の会津藩の侍が勝ち組の維新の侍に出会う。彼も斬られ役から初めて大スターになったという設定なのだが「時代劇」の斜陽化で捨てて大スターの道を選んだとされる(本当は違う理由があって主役で斬る役に耐えられなかった)。そこにかつての敵である男を見出すのだ。

時代劇という斜陽化の中にある映画に共感するのは日本の現代の姿を描いているのかもしれない。最後拍手があるとは思わなかった。たぶんリピーターも多いのだろうと思う(そして家族連れ、夫婦連れが多い)。良き映画時代を思い出せてくれる映画だったのかな?

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