シン・俳句レッスン8
今日の一句
女郎花。秋の七草なんだそうである。和歌や古典に良く出てくるのだが実際に見るのは初めてかもしれない。単に記憶がないだけか?知らずに通り過ぎていることもあるかもしれない。今日の一句。
中七が字余りになったので下五を4文字にして十七音にした。句跨りといえば句跨り。
藤田湘子
川名大『現代俳句』で俳句レッスンをしているのだが、誤字脱字の間違いが多く、それを教育指導してくれるのはいいが、コメントが上から目線の人はなんなんだろう。。人間間違えて育っていくものである。初めっから完璧人間などいないのだ。
誤字脱字が多いのは、パソコン変換の誤変換もあるのだが、そういうのを見逃すこともある。それに一人でやっているんだから、写し間違いとか。特に俳句とか和歌は普段使い慣れない言葉や読めない漢字や書けない漢字が多いのである。人名なんか特にだよな。旧字と新字の表記の違いもある。塚本邦雄などは人名は旧字でないと駄目だとか言っているが出回っている本は新字体とかもあるので、それも悩む。例えば渡邊白泉は旧字で書いているが、この本では新字で出ているのだ。
漢字表記もそうだけど外国名とか読みの問題も日本語表記では正しくないとことは、ピーター・バラカンがその度に指摘しているが、それで通じないということはない。要は言葉はコミュニケーションなのだ。不快な言葉はストレスになる。だから教育指導的な人をブロックした。
それで藤田湘子である。「湘子」なども俳句界では有名だが一般的には知らない人が多いと思う。その漢字が「湘子」だけではグーグルでは出て来ないのだ。だから藤田湘子と打って藤田を消すとかしている。ただ本文を写そうと思うと「湘子」だけで書いているから、それを真似ようとすると文字が出てこなかったりするのだ。名前は特にそういうのが多いから変換して出て来ないと諦めたくなったりするのだ。名前ぐらいまともに書けと言うがそういう事情である。藤田湘子にも『途上』という句集があるではないか?誰もが学びの途上なのだ。
これは写生句ではないよな。読み手主体だし。「八十八夜」が季語だけどその正確性は比喩だろう。そういう文脈で実際には文字にない感情が出てくるのである。行間を読むということか。俳句はそういうものだと思うのだ。だから「逢いに」の文字も「会いに」か「逢いに」では違う。初めは気づかないものだが。
「夢の後」も写生句ではなく観念の句であろう。「夢の後」を「夢の痕」とか「夢の跡」では不味いのか?多分それは跡に残らない夢だから「夢の後」が正しいのだろう。川名大の解釈だと「枯山に」に一直線に飛んでくる鳥を見たと解釈するのだ。あとから夢の世界で死をイメージする句だというのだが。死をイメージするには、後に残さない感じが飛翔していく(横切っていく)鳥のイメージなんだが。
西行の歌を繰り返し口ずさむ感じか。その歌は有名な桜の歌だとするのだが、他の句かもしれない。「西行忌」だから桜の歌になるのか?
でも西行忌は釈迦入寂の日となって2月15日だという(実際の西行が亡くなったのは2月16日とされている)。さらに新暦では桜も咲いてない時期だった。ただ忌日は今では新暦になっているのではないか?「紐解く」とはそういうことか。イメージとして桜が散っているのである。
実際に「女学生」が速いというより虚子の俳句の本歌取りではなかろうか?
虚子の句が川の流れの早さを言っているのに対して湘子は「女学生」の速さを言っている。虚子に感じる時間と湘子に対する時間の観念の違いを読むと面白いのかもしれない。
「うすらひ」は薄氷。花は桜で深山桜だという。これも幻想句だという。
湘子の俳句入門ではこれらの句は駄目だしされそうだが。
飯島晴子
名前だけはなんとなく知っていた。
「めくら縞」は木綿の平織物でそれを着たからと言って梟が鳴くわけでもなく、虚構の言葉の世界なのだという。夜の闇の世界を感じさせる。
「天綱は」は老子の「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして失(うしな)わず」から来ているという。「近松の戯曲『心中天網島』も連想させる。冬の菫は早すぎる恋なのか?
「葛の花」の生命力の強さ。「人の身」というと同性からの中年女性のまなざしが感じられるという。「かつと」がいいんじゃないのかな。
「寒晴(かんばれ)」がわからなかったが季語になっていて冬の乾燥した冷え冷えとした晴だという。中七以降の調べがいい。
「初夢」の句は最後の「やら」がポイントだろう。
北大路翼
パソコンが認識し始めた。半自伝的エッセイ『廃人』から。
「簡単に」は簡単でもなかったな。破調だからか?
中七が字余りなだけか。共同募金の子もいろいろいるから一概に嫌いとは言えない。
「精子」の句は上手いと思う。「精子」を「誓子」と誤変換させてまた顰蹙を買いそうになったが。紙一重的なことなのかな。
「傷林檎」も破調か?「夜は」が「よは」と読ますのかな。でも「よるは」の方がいいのか?下五が下七になるが。
「おしぼり」の句は意味不明だ。ただ「おしぼり」のリフレインと「凍てにけり」は冬登山かもしれない。
「三寒四温」ということわざ的なものは入れるなという初心者の教えなのだが、調べはいい。それに三寒四温は分断されているからことわざの体をなさないのかもしれない。
「あつたけえ」の口語がいいような。この句はけっこう好きかもしれない。
「浅蜊汁」が情緒があるような。海岸沿いの店か?
過去の俳句は墓標という考えだそうだ。俳句は一瞬の墓を立てるということ。それはトイレの垂れ流しに相応しい。
酔い潰れるの便所だそうだ。そこまでは意識がある人。たまに呑む人はそういう意識もない。
「孤独死」の句はそれはどうかな?誰もが孤独死なんだと思う。孤立死だよな。
渡邊白泉
「全滅の」句は生前に「しばらく」を「しばらくは」にするように三橋敏雄に伝えたという。「しばらくは」になると字余りだが、そこで切れるか?意識的になるということだった。
「戦場へ」は、『麦と兵隊』を読んで作った戦火想望俳句の15句の中の1句だという。それは南京攻略の従軍記である火野葦平は芥川賞作家の戦意高揚の従軍記は異例のヒットとなり、後に歌謡曲が作られたように、大ブームに乗っかった企画として『俳句研究』が依頼したものだった。白泉は各五句ごと三章で構成されて日本軍の快進撃に迎合して卑屈な笑いを浮かべる中国人を描いた。さらに第三章で進撃してゆく日本兵の姿を小刻みのリズムで区切って映像的に描き出す。それはモンタージュの手法のようだ。
「提灯を」は漢江陥落の提灯行列を詠んだ五句の中の一句。「遠くもちゆきてもて帰る」に戦争の徒労感を読み込んだという。すでに特高への弾圧の最中であり、表立って批判することは出来なかった。
「あゝ小春」は小春日和の季語の詠嘆調という。白泉が書いたあとがき。
「戦争が廊下の奥に立つてゐた」は戦争の擬人法だが、「街に」は少尉の擬物法だという。両者に共通しているのは突如異物が現れた時の不気味さである。
「青い棒」は乗馬のワンシーンだが、これは軍馬だという。映画のスローモーションのようなシーン。新興俳句は映画的な描写を意識的に取り入れた。
「少尉の首」というクローズアップも滑稽さを狙った映画的描写である。
「昼は商館に」の句のあとに、「戦争が廊下の奥に立つてゐた」に繋がっていく。この句が発表された当時はそこまで評価は高くなく、むしろ無視されていたという。戦後になって神田秀夫『現代俳句集』のアンソロジーで取り上げられて脚光を浴びたが、白泉はそのまま忘れられた俳人だった。そして昭和44年に白泉はひっそりとこの世を去って行った。そのことは全国紙に載ることはなかったが高柳重信が『俳句研究』で白泉特集を組んだのである。そして白泉に師事した三橋敏雄が編集した『白泉句集』が出版されることになったのである。平成になってからはほとんどの俳句アンソロジーで白泉の戦争俳句が取り上げられるようになっていく。その一つに大岡信の「折々の歌」での掲載があったという。
川名大は神田の読み解きの方がいいと言う。
さらに川名大はそれは軍部という特殊な場所でもなく一般の家庭の廊下にも広げたことがすごいという。平成22年に沼津高校入り口に句碑が立てられた。この頃は白泉を反戦俳人と捉えられていたが、それは正しくないとする。日常の閉塞状況の中で生きる人々を憂愁的に描いたのだ(だから今につ繋がる)。