シン・俳句レッスン115
桜
こりずに桜。昨日読んだ池田澄子の桜は良かった。一句だけじゃないのだ。連句の力か?
最後の句は一年が過ぎてまた桜を咲くのを待ち願う気持ちの句だった。この方法がいいのかな。連句という技だった。
日本の詩と季節
佐佐木幸綱『日本的感性と短歌』仁平勝「日本の詩と季節」より。
仁平勝は川名大『昭和俳句史』にも出てきた俳句評論をする人なので、この掲載は短歌本なのだが、季語というものを中心に語っているので俳句の方がいいと思ったので、ここに紹介していく。
もともと季節というのは日本には無かった概念らしく、田植えの時期に種まきをする時期を感じるぐらいだったという。それが季節という時間は中国から輸入されたもので、二十四節気七十二候も中国発祥だという。そして漢文化から大和文化にするに当たって、和歌が重要になってきたのだが、春に対するズレなどは紀貫之の名句にも現れている。
この歌は立春という節分は、七十二候「東風解凍(とうふうこおりをとく)」から始まるのを歌に当てはめたのであり、紀貫之が感じた季節感でもなかったのである。季節というのは『古今集』などの勅撰集によって、実際に感じる感覚よりも最初に言葉から入ってくるものである。そこに実感と言葉の季節感の乖離が生じるのであるが、その季節という時間を統治するのは権力者によってなされていくのだった。
むしろ季節感を感じる古典と言えば韻文の歌よりも散文の随筆である清少納言『枕草子』によって生き生きと描写されていた。春から冬までの季節をその情景で捉えたのは、その後の和歌にも影響を与えて、三夕の和歌「秋の夕暮れ」は『枕草子』から来たのだという。
そのように言葉から季節感を得る季語というのは、季節の先取り感で期待する気持ちがあるのだという説は、山本健吉「季節の推移に敏感な日本人の感性」で主張されているのだが、それは言葉から、例えば俳句の季語を意識することで季節感に敏感になっているという逆の作用があるのだ。
日本的感性の季語として、「時雨」があるが和歌では冬と定められてはおらず秋の歌での詠まれることがあった。
神無月(十月)で黄葉の季節だからこれは秋の歌である。秋の冷たい突然の雨が時雨であって、冬の雨ではないのだった。そこから十月を冬とする季語性が生まれるのだが、九月の時雨の歌もあるのだ。
『古今集』にも秋にも冬にも「時雨」は登場するが続く『後撰和歌集』になると冬に固定化されてゆく。それを決定付けるのは次の歌だという。
さらに『新古今和歌集』の二条院讃岐の歌によって「時雨」は美学として詠われる。
そこから「時雨」は「世にふる」が常套句となって宗祇が「世にふるもさらに時雨の宿りかな」と詠み、芭蕉が「世にふるもさらに宗祇のやどり哉」と詠んだのである。すでにその「時雨」は冬の風物詩というよりは人生の象徴として詠まれていたのであった。
このように季語の意味性は短歌よりも俳句の方が根強くなって来ているのは何故なのだろうか?季語は人それぞれの感覚があるものを統一させていくのは季語は不変だという思考からだった。
俳諧師(芭蕉、其角)
加藤郁乎『俳諧志』から。
松尾芭蕉(つづき)
芭蕉にも無季の句はあった。無季については、『去来抄』で
芭蕉の蕉風に対して浮世を詠んだ句を指摘する。芭蕉にも色気や浮世の俳諧はあるということか。そして芭蕉が俳聖と言われる伝説の辞世の句も後世に作られていくことが示される。
この話は芭蕉の本を読むとよく出てくる話だった。ただ加藤郁乎の主張は芭蕉の中の浮世の俳諧の面白さを述べているのだと思う。芭蕉を俳聖に仕立てるよりはそっちの俳諧も面白いというような。
榎本其角
加藤郁乎は芭蕉以上に其角について詳しく書いていた。ただ加藤の文体もわかりにくいのであまり正確にはわからなかったような。ただ芭蕉が其角を弟子にしながら、その其角に学ぶべきものが多かったとか。江戸俳句随一の切れ者という感じがする。ただ大酒飲みで女好きなのが玉に瑕みたいな。江戸俳句と言えば其角だったようである。
[座談会]高野ムツオ・西村和子・野崎海芋・西村麒麟
『俳句 2024年3月号』[座談会]高野ムツオ・西村和子・野崎海芋・西村麒麟「昭和俳句が残してきたもの、乗り越えるべきもの」から。
昭和25年の新年(敗戦の年の次の年です)に読んだ新年の抱負というより虚子の俳句道のようなスローガンなんだろう。標語と言ってもいいかもしれない。男根かよと思ってしまう。言霊性というか、本来日本の歌言葉はそのようなスローガン的なものがあったとか。「第二芸術論」とか俳句が翼賛体制になったことなど、これっぽちも反省しない姿勢が俳句道を見極めた虚子ならではとか。少しはお前反省しろよなとも言いたくなるが。
こちらは波郷の昭和二十年の大晦日の句だという。戦時真只中。現在のウクライナやガザにも通用する句だという。虚子の句はロシア側やイスラエル側の句だよな。
これも昭和二十一年だったのか。女性解放運動の頃かと思っていたが違った。戦時だと月ぐらいしか雅なものが無かったとか。
よくわからん。戦争の比喩みたいなんだが、蜈蚣がよくわからん。漢字も読めんし。作者の名前がまずわからなかった。
三橋敏雄が入った。東京大空襲の句。無季だけど戦争という事件が季語性を持った句なのだ。無季の俳句の代表的な句だという。そうか?白泉とかあるだろう。定形だからいいという。
原爆の惨禍がその行為に象徴されるという高野ムツオの意見だが、当時は安易に広島を詠んでいいのかと言われたのだ。
これはあまりにも悲惨すぎた状況を象徴的に詠んだ句だという。これも無季だ。無季=戦争という概念が出来ているのかな。
境涯俳句なのか。老人の俳句の淡々とした様子を湯豆腐に喩えているのだろうか?
石田波郷が一番人気があるということで全員から選ばれている俳人だった。
野崎海芋は初めて知る俳人だった。
石田波郷は人間探求派といわれるだけあって生死に関わる重い句が多いな。俳諧味とは違うような。いいんだけどこのへんは精神とか言いそうで。
自然派だと龍太が二人から選ばれている。オヤジより多いのか?
西村和子はオヤジも選んでいた。
息子を4人のうち3人を亡くしていたという。それで残ったのが龍太だったのか。そう思うと龍太も蛇笏の息子としての苦労が伺える。
加藤楸邨も二人から選ばれている重要俳人か。
こうして見るとやはり戦争句が多いのか。
女性俳人だと、桂信子が二人から選ばれている。
身体的な句だが西村和子選は意志を感じさせ、高野ムツオ選はエロスを感じさせる。
津田清子という俳人は馴染がなかった。これも戦時の句かな。違った。生け花の句のようだ。
昭和俳句は戦争のイメージだったな。非日常の句が強い。