見出し画像

ジャニスの音楽空間

"Box of Pearls: Janis Joplin Collection: Janis Joplin Collection"

10月4日がジャニス・ジョプリンの命日だったのですね。リアル・タイムで聞いてわけでもなく、そう年中聴くアーティストでもないのですが、久しぶりに聴きたくなりました。

1970年、4年間の音楽活動で4枚のアルバムを残し、ブルースロックの女王ジャニス・ジョプリンがヘロインの過剰摂取により27歳で死去。その短い生涯ですけど、音楽は今でも聴かれている。

最初にジャニス・ジョップリンのレコードを聴いたのは、批評家たちからサイケデリックな環境に毒されているとの非難を浴びせられたライブ盤『チープ・スリル』。でもジャニスのリアル・タイムを捉えた傑作ライブ盤だと思う。特に「サマー・タイム」や「ポール・アンド・チェーン」は誰もがジャニスのヴォーカルに震えてしまう。

『チープ・スリル』に入っていたライナー・ノートがジャニスと文学を結びつけてしまった。それを書いたのが間章。『非時と廃墟そして鏡』で彼のライナー・ノートがまとめられいるが、元々はジャズ評論家であった人でジャズのレコードを買うと彼のライナー・ノートが読めたものでした。不思議なのは彼の文章も音楽と共にジャム・セッションしているような不思議な魅力。たぶん、今読むとあの頃の小難しい評論用語(実存とか虚無だとか)出て来るのだが、当時アルバート・アイラーに熱を上げていたので彼のアイラー論は白眉だった(と私が思っただけです)。

そして、アイラーの「サマータイム」とジャニスの「サマータイム」がもう一つの季節、ずらされた夏時間という別空間で繋がってしまった。それはフォークナー『八月の光』のヒロイン、リーナ・グローブと壮絶な結末を迎えるジョー・クリスマスとの物語。しかし、今考えるとジョー・クリスマスはジミー・ヘンドリックなので(南部のブルースと破壊的ギター)、アルバート・アイラーは牧師となったゲイル・ハイタワーかなとも思う。音楽を聴きながら新たな物語を想像するのは特異なことではないけど、それが偶然入っていたライナー・ノートによって引き起こされた出会いが奇跡のように感じられたのでした。

ジャニス・ジョプリンも読書が好きでデヴィッド・ドルトン『ジャニス ブルースに死す』の冒頭でインタビューを受けたときに、失われた世代のF・スコット・フィッツジェラルドの妻だったゼルダ・フィッツジェラルドの伝記を読んでいた。別の文学空間が彼女を惹きつけた。そして、それはアルコールだったりドラック(ヘロイン)だったりしたわけです。それを満たすためにブルースを歌った。

彼女のような歌手はそう現れてこないだろうけど、それを過去の音源で聴けることは幸せなのだろう。ただドラッグのような危険性を孕んでいるのは間違いないから、取り扱いに注意が必要。

参考書籍:『ジャニス・ジョプリン: 孤独と破滅の歌姫、50年目の祈り』

没後50年、いまも聴く者を魅了する偉大なるシンガー、ジャニス。その短く苛烈な27年の生、そしてその歌が問うものを検証してジャニスを復活させる待望の一冊。湯浅学×大鷹俊一など

サブ・タイトルちょっと違った。「孤独の破滅の歌姫、50年目の祈り」。当時は「悲劇」だったものが「祈り」に変わったということだろうか?表紙の丸メガネに満面の笑みのジャニスに「悲劇」は似合わない。27歳という余りにも早すぎる死だが、ジャニスの歌は完成されている。遺作にして最高傑作『パール』を含めて4枚(今はライブ盤が出ているが)しかアルバムがないのに映画は5本もあるミュージシャンなんだ。その一本、2016年公開の『ジャニス・リトル・ガール・ブルー』は繊細なジャニスを捉えていた。

参考映画『ジャニス・リトル・ガール・ブルー』監督

ジャニスのライブ映像とインタビューだけで感動する映画になる。ジャニスのインタビューの頭の良さ。ストレートにずばっと核心を言ってしまう。ライブでどんなに演奏が素晴らしくともそれは幻想で、会場が一体感になっても、帰りは部屋で一人孤独になる。

「リトル・ガール・ブルー」はジャニスが大人になって見守る少女の頃のジャニス。だからジャニスのブルースは子守唄になってしまう。見守るママのジャニズと孤独な少女のジャニス。それは一人で聴く孤独者のブルースでもある。その重圧で酒とヘロインの日々。

モンタレーの「ポール&チェーン」。『チープスリル』と別バージョンの「サマータイム」(叙情的な)。クリス・クリストファーソンに俺より上手いと言わしめた「ミー・アンド・ボビー・マギー」。泣いてもいいんだとブルースのママが歌う『クライ・ベイビー』。

そして、ラストはジャニスがジャニスの為に歌う「リトル・ガール・ブルー」。


いいなと思ったら応援しよう!