シン・俳句レッスン164
現代俳句
いまさら俳句第十回 「専務理事暴走、若手が気になる7句を語る」 ゲスト:黒岩徳将
この動画面白かった。若手が好きな7句(ベテラン4句、若手3句)を二人で批評するのだが、まったくわからないと言ったり、なるほどと思ったり。
俳句による経験値が直感に繋がるというのは、昨日の句会でも感じたことだった。多分この二人の俳句による経験値の読みと自分が持つ違和感もあった。
でも青年部が49歳以下というのも驚きだった。中年部かよと思ってしまう。それでも311人しかいないのかと思ってしまった。これは俳句人口から言えば少ないんじゃないのか?十代二十代ならわかるが、四十代も入れてだ。多分それから倍々に増えていくのかな。全部で何人いるんだろう?1万人ぐらいはいると思っていた(漠然とした数値)。
全然わからん。阿部青鞋も知らんかった。
内面の句で先が見えない。先が見えない「おそろしさ」なのか?自分自身の対話(モノローグ的)。ダイアローグ(対話)ではない。無季。半円の不気味さ。573のリズム。573のリズムはシンメトリーではない。575はシンメトリーか?それは57と5だったり、5と75だったりするので非シンメトリーだ。虚無感の句。が面白いという。「かな」を付けて問いかけにする。
これもよくわからない。俳句スポーツ説。頭で考えないで身体的に出てくる。岸本尚毅は直系。
多作、辛辣さ、シュールな距離感。意味のわからない瞬発的な俳句が人気。
現代俳句教会の人は最後に歳時記で季語をつけるような句は嫌う(自分もその考えかも)。素材に情緒がないもの不可解なものを持ってくる。俳句作りに素材を探してくる。多作多捨の思想(多作多捨を多作他者と間違って表記したのだけれども、「他者」を見つけることかもしれない)。直感的な俳句。経験論。吟行の大切さ。
これはわかるが「天国の階段」みたいな抒情句なのか。女子に人気があるとか。ちょっと湿っぽい。郷愁性。俳句には乾いた句と湿った句がある。乾いた句は一回性の衝撃を持つが湿った句は繰り返し反芻される。そういうことか?乾いた俳句の方が好みだった。叙情性は苦手。こういう句は苦手の部類かも。ベテランは乾いた俳句がいいと言う。美しいというんだ。そういうのが論理的じゃない。俳句は、誤読の世界。この句は誤読のなさが詰まらない。誤読を誘う句がいいと言うが、そこまで深く読まない。それは経験値がものを言うのか。
これは寺山修司の本歌取りだと思うが寺山修司を超えてない。また「飼殺す」が好きなコトバでもなかった。カッコイイ俳句だと言うが、全然そうは思わない。「かの」という入り方がいいという。鷹匠という黒岩徳将の解釈は詰まらん。「風」という自由な方向で逆説を述べる。
これはめちゃ好きかもしれない。文法的に正しくないのかもしれないがコトバを生き物として扱っている。「ありとあらゆる」に反発して言うコトバ。いいんではないか?調べるのか?ひきがえるの過去の句と比較する。
まず「蟾蜍(ひきがえる)」が調べないと読めない。それだけで意味がわからん。そこから長男が家を継ぐということの句だと知るとそれほど大したことがないというか?そんな思想は過去の遺物だと思ってしまう。
こっちの句の方がいいかな。でもこの3つだったら福田くんの句だな。
解釈の違いがあるのは面白い。堀田季何はチャットGPTに聞いたという。そこまで調べて詠むのか?AIは誤読しない。誤読するのが人間。
一日同じ題で5句つくる。課題。
これは「ファイナルファンタジー」句だな。そんなに面白いと思わない。鏖の五文字がいいというのだが、パソコンだと変換するけど、お前書けるのか!という話である。パソコンで作ったのが見え見えだ。
「春や昔」が正岡子規の句にあって、それの本歌取りらしい。そこまで説明されると面白いかもと思う。
俳句は経験値か?若者はホラー的な句に興味がある。作中主体に入り込む。俳句にも作中主体が必要になってきている。現実と違う作中主体はベテランは受け入れがたい。
木賊(とくさ)が理解出来ればこれは斎藤茂吉の本歌取りだとわかる。かなり好きな句だった。
これは写生句とよりもイメージ句だろ。短歌も勉強して下さい。若手の句の方がわかるな。
俳句の力
岸本尚毅『高浜虚子 俳句の力』から「俳句の力」。短歌は31音あるので言いたいことが言えるが俳句は17音なので最初からすべてを言おうとしないで諦める。そのときに力があるのは地名とかは連想が働く。
「美はし」とか駄目だろうと思うのだが、虚子は抽象的な形容詞は使うような。
こっちのほうが全然いいけどな。抽象的すぎるのか?
虚子は俳句でなければ言い表せないものを詠んだ(沈黙の文芸)。
「けはい」という描写しないことが読者の想像力を掻き立てる。子規の写生とまったく違うことを言っている。これじゃわからんよな。
「調子」の力
虚子は早くから子規との俳句観の違いを意識していた。そういうことなのか?
能に触れて沈黙の文芸だという。拍子を打つ音ではなく無音の間に注目する。ものを多く読み込まない。
絵にならない俳句
絵にならない俳句とは?元来俳句は子規の写生によって絵画的手法を取り入れたのではなかったのか。絵になる俳句は子規から蕪村を通して絵になる俳句を目指したが、虚子から芭蕉を通して見ると絵にならない俳句の系譜があるという。
これは虚子が評価しない句だったのだが、十四五本という数字が曖昧さの中に確かに景が見えてくる。それは多すぎることなく少なすぎない一本の鶏頭が見えてくるぎりぎりの塩梅の数だという。
先程の動画でも「おそろしき」という句があったが「おそろしき」は客観描写ではなく主観的なものだ。秋桜子は虚子の客観描写より内面的な主観描写を主張したのだが、虚子も内面を詠む句が多かった。これは混乱するよな。
「大いなるもの」と抽象的な言葉や「棒の如き」という比喩は内面を描いたもので客観的な絵にならない俳句である。
この「しづかなる」という形容動詞は主観性でこれは芭蕉の蝉の句をイメージしているのかもしれなかった。
芭蕉の句も絵画的とは言えず絵にならない俳句独自の表現なのだ。
凡兆はただの浪ではなくて「鳴門の浪」と強調することで、主観的な構成によって実景を描くのではなく脳内で北斎のような絵を描いた。堀切実は凡兆を「写生の演出家」と呼ぶ。
虚子はそうした操作を演出と捉え、素十の句に凡兆を見出した。
「はなやぐ」や「動かざる」という言葉は主観による印象を詠んだ。
これは短歌なのか俳句なのかわからないが、虚子が去来を偉大な俳諧師と見ていた。
湖の水量が変化するのは目に見えないのだが「五月雨」という季語によって「まさりけり」となる。「海鼠」も尾と頭が区別されないということはないのだが、曖昧性を詠んでみる。芭蕉にも海鼠の句があった。
これらの句は虚子の言葉を借りれば愚鈍な句であるが、そこに「絵にならない俳句」の滑稽さを見出す。
この芭蕉の句は情景を描かず観念の句であり、「病雁」「夜寒」「旅」と尽きすぎなのだが、そこに芭蕉の人生訓のようなものが透けている。虚子はそうした人生をものに喩えた絵にならない俳句の独自性に気づいた。
最後の句などほとんど陳腐な走馬灯のような句なのだが、それが虚子が見据えた人生なのである(今ではこんな句は凡人句だろう)。
観念の俳句
虚子は観念の俳句を創るがそこに理屈っぽさを入れない。
動画に上がっていた波多野爽波の句も虚子の句の影響が見られる
虚子の俳句は人間存在の観念を俳句で詠んだと三橋敏雄はいう。ただ観念は理屈になるので俳句としては危うく扱いにくい。そこで無意識的な観念を見出すのかもしれない。
ありのままの焚火を見て詠んだ句。
これらは客観的事実ではないが、無意識的なものを焚火に託して詠んでいる。虚子の言う「客観写生」は主観の中にあるものを客観的に提示して見せるということだという(禅問答のようだけど無意識的というようなものか)。俳句スポーツ説は多作することによって無意識的なものに近づく俳句観なのかもしれない。
この句は「酌婦来る」が虚子の無意識の現れだとおもうのだが、人間を善悪で測れない普遍的な観念を詠んでいるとするのだが。「酌婦」という言葉と「汚きが」という言葉の中に虚子の差別意識が透けて視えるような気がするのだ。言葉を扱う芸術家なら、そこはこだわるべきではと思う。
芭蕉たちの俳句談義
堀切実『芭蕉たちの俳句談義』。芭蕉の俳論(俳句ではなく、俳諧論だと思うのだが)が多く残っているのは芭蕉が書いたというよりも弟子たちが残した俳諧の秘伝書的なものとして語り継がれてきている。それが向井去来の『去来抄』であり、服部土芳の『三冊子(さんぞうし)』が代表される。その『去来抄』に蕉風俳諧の教えを見ようというのが本書のスタイルなのだ。
そういう本だから芭蕉を神の如く崇める聖書的な、聖書はちょっと言い過ぎならば弟子たちが孔子の言葉を集めた『論語』的な本になっている。それは極めて読みにくいと思ってしまうのは、芭蕉の俳諧が一番というスタイルで書かれているからではないか。要するにかつての芭蕉の弟子たちが集って語る「俳諧談義」のようなものかもしれない。批評がないのである。芭蕉に対して批評の言葉を持っていたのが正岡子規だと思う。子規の「写生論」から「俳諧」から「俳句」という「発句」ではない「俳諧」とは切り離された文芸(まだ文学と呼べないのは俳諧の影響力が強いと思うからだ)が始まったのだと思う。
俳句(発句)の姿
ここで俳諧を俳句と書いているので以後俳句と書く。厳密に言えば俳句は正岡子規以降の文芸だと思う。
去来が最初に出した付句は
であったのを芭蕉が俳句としての姿がよくないとし、訂正したのが上句である。つまり去来の俳句は説明しすぎるのか俳句そのものの姿として「身をほそうする」としたのが蕉風ということだ。
去来が雉子を啼くと詠んだのは、和歌的な伝統の中に雉子は声を聞くものという前提があったという。その去来の意図は雉子の雄が雌を求めてうろたえて啼くとした付句(その前に「散る花も丹波から来る川流 野童」の前句があり去来の句は三十二句目の連句だった)は主観を述べているので客観視せねばならない。俳諧の流儀がみんなの輪(内輪)の中のゲーム性なのだ。そこに美意識を求めるならば主観よりも客観という一句の姿があるという。
風情よりも風姿を求めるのを蕉風とした。
この句には切れ字がないとある弟子が言ったのを其角が「にて」は「かな」と同じで「かな」にすると強すぎるので「にて」とぼかしたのだと主張した。それを受けて呂丸は其角の説明通りであるが発句としては疑問で三番目以下の付句であると主張する。発句や第二句やそれ以降の付句にはいろいろ俳諧のルールがあるのだ(それが文芸としての俳諧だった)。これに対して芭蕉はこの句は小野の小町の句からイメージされたもので「花」は小町をいい「辛崎の松」はそれを皮肉ったものだとした。先の理屈よりも感じたままを詠んだのだと。同じようなことは漢詩の楚辞を引用した「象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉『おくのほそ道』」がある。そういう文学に対しての経験値がものを言う。
『猿蓑』の選集でどちらがいいか選べと芭蕉がいい。凡兆は上句をすぐ選んだのだが、去来は「病雁や」の句に蕉風の姿があり、「小海老」の句は自分でもそういう現場に居合わせたら出来そうだと思ったがそこまで強く言えず、両方載せたらどうかと主張したところ、芭蕉が笑って両方選ぶのかと言ったという。芭蕉は両方とも同じような句であり理屈ではなく現実で見た様をイメージで詠んだのだとした。両方とも心象風景なのにそれが見抜けないのかと笑ったというのだ。ただ「病雁」と「小海老」なら「病雁」の方が意識が高いという現在の解釈なのだが。「小海老」を「いとゞ」という俗っぽさも捨てがたい。解釈の違いにあると思うのだ。
去来は「凩の荷兮」(「木枯し紋次郎」のイメージ)と言われるだけあって自分の句は及ばないとしたのだが、芭蕉は荷兮の月は「二日の月」という題材によりかかりすぎていて、むしろ去来の句の方を取った。そのときに「地にも落とさぬ」と「も」を加えたのださすが師匠だと思ったという。この談話は去来の自慢話として荷兮の句を持ってきたのではないかと堀切実は推測する。どうみても荷兮の句のほうがいいではないかと主張するのだが。こんな具合に芭蕉談義の楽しさを伝えつつ自身の俳句の好みにちゃちゃを入れる感じで進んでいく。そこに果たして「俳句」の論理性があるのだろか?とも思う。むしろ嗜好性なのではと思った次第。
堀田季何『星貌』
堀田季何『星貌』は新興俳句的な俳句を詠んだ句集であり『人類の午後』の伝統俳句系の句集とセットになっているという。このへんが堀田季何の頭の良さなのかな。NHK俳句の講師としてもわかりやすい解説だし。
「のっけから」この感じだからこの一句が面白いか面白くないかでこの句集の評価が分かれると思う。虚子とくれば「ホトトギス」の伝統俳句。それが捨てたとあるのだから、「新興俳句」系の俳人だろうか?そのバナナの皮に滑ってしまうのはわたしのような俳句趣味人を言うのだろうかと思ってしまった。もうこの一句で笑える。
追記。読書メーターに感想を書いたらこの句に似た句が虚子にあったという。
この句の本句取りに間違いはないだろう。平畑静塔が痴呆美を指摘したという。「新興俳句」系をおちょくっているしか思えん!ちなみに「バナナ」が季語になっているのは、虚子が編集した「新歳時記」によるものである。ということはこの句は有季定型なのか?
季語が「バナナ」の句はけっこうあるのだった。面白い。
本文に伝統俳句風に詠みルビによって新興俳句的にアイロニーで詠む。これはルビの使い方が今ふうなのか?ルビの方に本音があるのかな。
「退廃芸術」という言葉からナチス時代の弾圧芸術展を連想させる。「唇に挟まれた句」を詠んでいいものだろうかとためらう句だろうか。
プロメテウスの神話を俳句界に当てはめたのか。プロメテウスは詠み人だろう。haikuと海外文芸の表記になっているのだが、俳句という国内のhaiku虐めの構図だろうか。
そんなイメージはなかったが蟻の句ではそういうのが多いのかな。
虚子の句であったのか?他にも
とか出てきた。
これも虚子の句であった。
「ドラえもん短歌」は有名だけど「ドラえもん俳句」もあるのか?『ドラえもんの国語おもしろ攻略 俳句・短歌がわかる』この本のことを言っているのか。
これはちょっと意味がわからないな。日本狼を詠んだ囚人の句はあったけど。
あと金子淘汰の句とか人気か?
これは東日本大震災での乳牛を詠んだ句かもしれない。新興俳句系でありそうな。あと北海道の雪印牛乳廃棄事件とかあったな。この辺は時事詠の社会性俳句か。
俳句は単詩だという自由律俳句か。月並み俳句を指摘した虚子のアンチかな。
NHK俳句
ゲストがいとうせいこうで師匠格の金子兜太と稲畑汀子(木暮陶句郎の師匠であり、伝統俳句の砦的な虚子一族)のバトルが面白かった。木暮陶句郎の「凩」の読みもいつも以上に饒舌なのはいといせいこうを意識してか?なんとなく木暮陶句郎の言っていることが理解できるようになってしまったのは、それだけ経験値が上がったのかなと思う。
芥川竜之介の凩の名句。
みなが名句というから、これはちょっと芥川の狂気性を感じてしまう。異様な虚無感だよな。
金子兜太と稲畑汀子バトルは「季題」についてだった。稲畑汀子は有季定型でしっかり「季題」を立てて俳句を詠むのに対して金子兜太は俳句の本歌取りというようなことを言って季語を動かす楽しみがあるという。俗にいう季題が動くとされ俳句では駄目句だとされるのだ。しかし第二回大会では二人の選句が似通ってくる。それはお互いに俳句が近づいたことなのだが、議論はコミュニケーションであり、そこのお互いの共通項を見出すというのがある。それが「季題」ということで。稲畑汀子は季題が動くことを嫌うのだが、金子兜太はそういうことに無頓着だった。季題が動くというのはけっこうあることで、岸本尚毅なんかは虚子は季題というのを立てるよりは、むしろ季題によらない季語的な句に注目していた。例えば
この句は「大根」が季題なのだが「大根の葉」というのは違うという。大根そのものを詠んでいないのだ。しかし虚子の中では大根を種を蒔いて育て収穫の時期になって農家の人たちが大根洗いをするその情景に一年の季節の移り変わりの早さと冬支度をする(大根干しとか)季節感があるという。この句から「大根を洗う」という季語が生まれたのだ。俳句で季語が決まらず歳時記によって季語を決めていくやり方をダメ出しするのは、そういうことだった。季語が本来ある姿ではなく俳句のための季語として立てられる。
まあ題詠がそもそもそういうものなのだが、だから句会よりも吟行を推奨するのはそこに詩人としての言語感覚が鍛えられるからだと星野高士などは主張する。
特選
これをいとうせいこうは「太陽」でもいいのではと言ったが「太陽」では意味が逆転する。やっぱここは冬の季語を持ってこなければならず、「冬大根」とかはいいかな?季語を動かしてみる俳句の楽しみ。
この句をいとうせいこうは上句中句下句まで冷たい感覚と捉えたが、木暮陶句郎は「凩」が動で「鉄アレイ」の静。外では凩、内では鉄アレイのトレーニングとして、冷気から暖気への句とした。自分もそんな感じかな。風の浮遊感と鉄アレイの重量感の対比。対比を詠むのが俳句という俳句脳になっている。