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シン・現代詩レッスン107
鮎川信夫「天国の話」
鮎川信夫はさんざんやってきたのだがこの詩は初めてのような気がする。あまり記憶にないのだが、『鮎川信夫詩集〈現代詩文庫〉』に入っていたのか。鮎川信夫の多様性を見るとそこにモダニズムのロマンティックな装いもあるのかもしれない。
天国の話
十一月の凍った夜空に
かれは肩をすくめて立っていた
人影まばらなプラットフォームで
青白い少女が
もうひとりの少女に話をしていた
少女をだすのは甘ちゃんだと思ってしまう。そしてタイトルが「天国の話」だ。クリスマスシーズンを狙ったような詩ではないか。
暦(カレンダー)の月が入るのは好きだった。やはり親しいものだからなのか?十一月という中途半端さも好きだった。十二月はクリスマスだし十月は文化祭とか秋のイベントシーズンだ。十一月も文化の日とかあったのだっけ?
一番どうしようもないのが六月として、六月はそのどうしようもなさゆえに桜桃忌とかジョイスの日とか文学的には重要だと思っている。二番目にどうしようもない十一月は取り柄がないのではないのか?過去の栄光だけが天長節とかあるような気がする。それも肩をすくめる男と関係があるのかもしれない。男と少女二人の会話を聞く形で男のモノローグと少女の会話とで進んでいく。
あるところに
天国というところがあったんだって
そこにはまぶしいところがあったんだって
十一月の凍った夜空に
きらりと光るひとつぶの星があった
この少女のように
かれもまた あるところに
帰らなければならない
暗くて さむい
あるところに
この場合ロマンを語っているのは少女のほうなんだが
男は「帰ってきたウルトラマン」かもしれないと思うとウロトラロマンの詩だろうか。
それが否定されるのは、「暗くて さむい」という現実的な言葉だろうか?
そこには
とても綺麗なお花畑があったんだって
(略)
十二時十分 針の眼が
じっと心の闇をのぞきこむ
そこには 醒めたスープをまえにして
かれの帰りをまっている女の
動かない顔がある
そこには
粗末な木の
動かないベッドがある
段落を落とした少女たちのお花畑の夢(死後の世界)と対象的に男の現実は「暗くて さむい」場所なのだった(男の生の現実世界)。
そこには
神様とおっしゃるひとが住んでいたんだって
さてそれからどうなったか
それっきり言葉は絶えた
十一月の凍った夜空に
見えない幸福におびえて
ふたりの少女は翼の影をよせあった
終電車のレールのひびきは
いつまでも
遠くの国をまわっている
少女たちの死後の夢話のあとで言葉は絶えている。これは少女たちの自殺だろうか?「終電車のレールのひびき」は男のものなのか?少女のものなのか?どっちとも取れるのかもしれない。自殺を夢見た少女たちかもしれないのだ。そうした重ね方が鮎川信夫の(無神論的)詩なのかもしれない。
地獄の話
極月の冷たい北風の街
クリスマスで輝くアーケード
彼はすでに地獄に堕ちてた
ショッピンウィンドウを眺め
貧しい少女はマッチを売っている
そこで弟が姉に話していた
サンタなんて嘘なのに馬鹿な人ばかり
フランダースの犬は
忠犬ハチ公より馬鹿だよね
この詩も馬鹿な作り話で
夢見るのは地獄の夢ばかり
彼は堕天使
天使は死ななければ
天国へ連れて行かない
彼は今日買う必要なものを考えている
ニベア缶・洗剤・砂糖・ミルク
インスタント珈琲はまだあるか?
冷めきった珈琲ショップの向こう側には
惨めな子供たちでいっぱいだ
ここは暑すぎる
火炎地獄か
マッチ売りの少女は店に火を付け
逃げたお尋ね者 赤いハイヒールが残された
マッチ売りの少女の
夜桜お七の
裁かるゝジャンヌの
転生
地獄行きのお話