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『定本 俳句入門』を読む

『定本 俳句入門』中村草田男

活き活きした五七五のリズムはどうしたら生まれるか?季題や切字のはたらきは?写生とは?多くの実作例でこれらの疑問に答える。80句の自句自解を併収。

いわゆる俳句作成の入門書として読むと失望せざる得ないかもしれない。それならば誰もが推薦するだろう藤田湘子『俳句20週入門』を読めばいいのである。では二冊目の入門書としてはどうなのだろうか?それも違うようである。何故なら、この本は中村草田男の『俳句入門書』であるからである。

例えば俳句を作り始めて投稿したりする。そのときに自分の俳句を探し求めるか?投稿先の傾向と対策を探って撰者好みの入選するような句を作るかという違いがあると思う。俳句は短詩形式だからAIによって人間が作ることの出来る以上の俳句を瞬時に生み出すことも出来る。それは言葉と過去の作風と文語体なら文語体をデーター化して完璧な俳句を作ればいいわけだ。

それが楽しいのかという問題が前提にあるのだ。何よりも俳句を楽しみたい。それは下手なりに自分自身の俳句道を突き詰めることなのだと。撰者や師匠に左右されない。もっとも師匠がいるわけでも無かった。

中村草田男は、寺山修司が評価していた俳人で、彼の俳句で言っていることは、俳句は韻文であること。そして、呪術性が元にあること。だからAI俳句なんてもっての他なんです。いくらその句が素晴らしく見えても、呪術の要素がない。ただの言語ゲームです。

俳句を作る上で人としての感動がないとただのゲームになってしまう。もっとも俳諧や連歌はそうしたものでした。どうゲームとして前の句を生かして続けていくかのゲーム的要素があったと思うのです。

俳句は松尾芭蕉らによって、発句として自立させるための詩としての芸術運道があった。芭蕉から近代俳句としての正岡子規までは自然に対しての自我の追求というものがあった。その中で自我は自然と対立するものはなく融合するものであると。俳句という韻文の世界は直接的に語られる世界の他にもう一つ象徴世界という内面世界がある。さらにその内面世界は自我だけのものではなく自然と交歓する自己の世界でもある。

季題はそうした自然の場として自我が出会う特別な時空間としてある。それは個人の中で一回性でありながら再び巡っていく季節性の中で個人との出会いを超えていく。それは呪術性に近いものだとする。日本人にはそうした四季の時勢というものがある。それは花や虫たちの世界でもある。

だから俳句を詠むだけの一方通行だけの文学ではなく他者からの読みという双方向の交歓という場のなかで成り立つ文芸として、詠むことの大切さと共に読まれることの大切さもあるのだ。それがAI俳句の作りっぱなしとは違う解釈される世界。AI俳句は解釈が出来るだろうか?それは分析とは違う超越した世界なのだ。

実際に『定本 俳句入門』では、あらましの俳句を説明した後に名句や中村草田男が選評した投稿句の解釈が続く。俳句が詠まれるだけではなく読まれることの重要さ。

雪のこる頂一つ国境  正岡子規

正岡子規が雪山を見て作った俳句だということは誰でもわかると思う。鑑賞はその一歩先に踏み込んで読み込む方法です。まず「雪のこる」は「残雪」とも言いますけど、この山は木々に覆われた山ではなく岩肌が出た山だと言います。それほど高い山。そして「国境」とあります。

子規の時代の「国境」というのは国内の藩の置かれた地域のことですが、昔はそれが国として理解されていた。そして、その国の向こうは未知の世界なのです。中村草田男は、カール・ブッセの「山の彼方の空遠く、幸い住むと人の言う」を上げてますがドイツの詩人の山の詩。まあ、これは知識としてここに上げられているので、例えがわかりにくいですが、ベンヤミンのピレネー(アルプス)超えを思い出せばいいと思います。そのぐらいに難所だということです。

松山の山ですかね。松山の山は奥深い感じだった。でも松山に雪がつもり山があるのだろうか?富士山とかそんな感じがします。調べてみるもんですね。松山にも雪が降る山があっった。石鎚山ですね。

一つ根に離れ浮く葉や春の水  高浜虚子

高浜虚子の見事な写生句です。春の水というのは、春になって池の水なんかが透き通って、いかにも清楚な感じの季語です。そして池の中に枯葉が浮く。冬の枯葉ですね。それが水の中で木の根に生えているような、それだけの描写なんですが「春の水」が生命感溢れさせているのです。それが季語の力。そしてこの写生句は実景だけを言っているだけでなく、もう一つ象徴的な世界についても述べているのです。

さすが写生を俳句の心情にしている虚子だけありますね。

その先行句として、子規の俳句があるんです。

松の雪割れて落ちけり水の中  正岡子規

こちらは冬の厳しい水ですね。「雪割れて」が春が近いことを示している。ここまで読まなくてはいけないのかと感心するだけですね。ここまでなるには相当数の俳句を読み込まねばならないですね。「写生は一日にしてならず」ですかね。

ただ中村草田男が正統のな虚子門下であったわけでもなく、新興俳句の人間探求派と呼ばれる俳句も作っていた。そのところのこだわりも自分自身で考えて俳句道という道を極めた。

最近信頼がおける俳人で、坪内稔典『坪内稔典の俳句の授業』で中村草田男のことを虚弱な文学青年が俳句によって自然に見出されて自然派になったというようなことが書かれていて、寺山修司が惹かれたのもそんなところで、芭蕉時代の俳句を求めて現代に生きるような、そんな中村草田男を現代俳句の「ドン・キホーテ」のように呼びます。もともとは書斎派で研究肌の人だと思います。そこから「書を捨てて町にでよう」が自然になったんですね。

俳句の実践的なあり方に芭蕉の歌枕「巡礼」のようなただ俳句というお経を唱えるだけではなく、自然の旅の中で俳句と出会うというような遍路に通じる俳句道ですね。

最後に中村草田男の自句自解が出てます。それを解釈したかたんだけどまだそれだけの力がなかった。それで5句だけいつか解釈できるように上げときます。

吹く空しさ煽風機の卵の山
あかるさや蝸牛かたくかたくねむる
万緑の中や吾子の歯生え初むる
頭をふりて身をなめ粧ふ月の猫
原爆忌いま地に接吻してはならぬ

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