外部からの批評を受け止めた短歌と受け止められなかった俳句の違い
『短歌研究 2024年3月号』
短歌雑誌は作品を丁寧に読もうとすると時間がかかる。まだ好きな現代短歌作家がいないから一応全部に目を通すようにしているのだが、難解漢字や古語が出てくるとめげてしまう。せめてルビが欲しい。まだ短歌は若い人がいるから面白い作品もあるのだが。今月号では、北山あさひ「うるせえドライヤー」が面白かった。正月に地震があった能登特集は、あまりぴんと来なかったが、松本清張の『ゼロの焦点』の舞台だっけと思い出しながら読んでいた。吉川宏志「1970年代短歌史28」が勉強になった。
作品観賞
黒瀬我聞「令和六年一月一日。およびそののち」
短歌のいいところは速報性か。ただニュースとしての社会詠は悲惨な事件が繰り返されることで感情は希薄になっていくと思う。当事者以外は。五七五七七に瞬時に(後から?)収まっているのはどこかしら冷静なのかもしれないと思ってしまう。地震があっても短歌のリズムは乱れないのかと。そう言えばこの人は僧侶だったんだ。だからどこかしら客観的に冷静なのかもしれない。
これは面白いと思う(面白いと書くのもどうなのかなと思うのだが)。新春福袋を買っていたのか?それが崩落することで改めて諸行無常を知るのかな。七七が句跨りになっているのだ。
福は空の袋になったのか?ゴミ袋となったのか?
福袋はゴミ山になっているのだが、それ故に天井瓦解でも負傷者がいなかったのか?
これはニュース映像なのかな?「地震(なゐ)に」の文語体に余裕を感じてしまうのだが、悲惨な光景と言えば言えるけど、ニュース的な。
妻のLineメッセージがリアルに緊迫感を伝えるのは、もはや短歌のリズムを外れているからだろう?なんか短歌を考えている作中主体と外部の落差を感じる歌である。
こういうところがどこか余裕に感じられてしまうのだが、除夜の鐘は躍動だったのにということか?
みんな車で行動するのだ。ちっとも3. 11の教訓が役立っていない。そんなもんなのかと思う。
むしろ外部の声の方が切迫感が伝わっていくな。
混乱状態だが客観的な感じがする。
もう聞き飽きてしまったというセリフなのだが、そういう反省のないところに人間はいるのだと思う。
「つなんばし」は津波橋という記憶の橋渡しということなのか?外部とのつながりが重要なのだと思うがいざというときはそうは行かないのだろう。
小池光「舟歌」
湛えて(たたえて)。東へ流れるということか?「方丈記」かな?
富山との距離を感じてしまうな。
「リバーサイドホテル」は全国にありそうだな、昔、有田の「リバーサイドホテル」に入った思い出に笑う。これは共感性なのか?
寂寞感か。誰にでもあるよな。
宇都宮の田川の「リバーサイドホテル」なのかな?
クラウゼヴィッツ『戦争論』を意識したのはニュースで戦争を見たからだろう。戦争が撲滅せず戦争は永遠に続いていく。クラウゼヴィッツ『戦争論』は漫画で読んだな。地震と同じなんだろうか?それが自然なのか?
TVのニュースに反応する時事詠なのか?地震には反応してないのは意図あってのことなのだろうか?東京ではこれほどニュースが入ってくるということなのか?
社会詠と日常詠の等価ということなのか?個人の歌ということなのか?
一番共感したのがこの歌だった。タイトルにもなっているし。歌とはそういうものなのかも。大声で叫ぶよりも口ずさむ程度がいいのかもしれない。
北山あさひ「うるせえドライヤー」
タイトルは惹かれる。「まひるの」の歌人は多い。
この人は横書きでもOKの人いうか、横書きなんだろうな。
能登沖地震の感想だろうか?問題発言だとは思うがそれを歌にしているんで、オブラートに包まれている感じなのかな。「星座が街を点検している」という表現は意味不明だ。神の視線ということか?
初詣かなんかの情景かな。リフレインが斬新。また定形に収まらないネガティブさも◯。
このへんはチョコレート世代なのか?
これ好きかもしれない。月光仮面の紋章の三日月。そうだ、昨日の夜の三日月は良かった。
壮大な字余りなのか?「」の中はワンセンテンスでいいと思うこの頃。リフレインも定形を無効かすると思っている。だからこれを分析すると
定形じゃない短歌のリズムになっているのだ。独自解釈。
映画短歌だけど。「雪の上をポテトチップの袋がすべる」は秀逸だな。残像っぽい。
なんかいいのは定形じゃないからかな?うるさい感じがいいのかもしれない。生きている限り人はうるさい。
定形もどきだけどリズム的には七七が収まっているからいいのか?最初が7音だけど、許容の範囲。
【特集 能登、北陸の歌人たちと作る短歌研究】
なんかあまりピンと来なかったのは当事者ではないからだろうか。能登と言われるとそうだ、松本清張を読んで一人旅をしたことを思い出すが。輪島の駅で降りてバスに乗り遅れてしまって、一日に二本ぐらいしかバスがなかったことか?それでここには居られないと京都ジャズ喫茶巡りに変更したのだった。
松本清張の一首が印象深いのはそんなところか?『ゼロの焦点』だよな。
そうだ、雪が降り出して泣きたくなるほどの一人旅だったけど、よく戻ってきたなと思う。
塚本邦雄も恋の歌。短歌は恋の歌だと知ったのは最近のこと。
恋路海岸という場所をロマンチックに幻想しながら歌った歌だと。
沢口芙美「能登に眠る、釈迢空と折口春洋について」
釈迢空が折口春洋と出会ったのが能登で出会ったとか。釈迢空の歌は春洋を暗示しているようで艶めかしい。
内藤 明「『万葉集』の能登、北陸の歌」
『万葉集』の大友家持が能登の国守として和歌を残していた。
吉川宏志「1970年代短歌史28」
篠弘『現代短歌史Ⅱ前衛短歌の時代』を読んでいたので、その続編という感じだと思ったのは、戦後塚本邦雄や岡井隆が前衛短歌運動で出てきたときに歌壇だけではなく、現代詩や現代俳句との交流があったということだ。俳壇もそういう議論はあったのだが、俳句の伝統性を主張する方向で保守化していく。短歌にはこの時代の前衛短歌運動があったから次の世代の俵万智や穂村弘が出てきて一般人にも認知されるようになったのだと思う。
俵万智の口語やそれまでの七五調を崩していく手法は塚本邦雄や岡井隆の方法論があるのだと思う。短歌のリズムについては60年代に塚本邦雄と大岡信の定形論の議論があった。それは70年まで続いて、佐佐木幸綱が短歌のリズムということよりも「調べ」という短歌の響きが(塚本邦雄なんかは詠嘆調は否定したのだが)その歌が投げかけることによって波紋が広がっていく効果をこれからの短歌として論じていたのだ。その佐佐木幸綱の教え子が俵万智なのである。俵万智は単なる女子大生ではなかったんだよな。真面目な教員として短歌を拡げていく役割を担っていたのだった。それは寺山修司的なメディアの使い方の上手さもあるのかもしれない。またこの時代に女性歌人の活躍は男性歌人を凌ぐ先行性があったと思う。俳句に比べ女性歌人の輝かしいことよ、と思ってしまう。
最近の俵万智ブームもそうしたメディア戦略としての短歌の流れがあるような。それはコピー化というマーケティングの戦略であり一方で大学短歌会やネットでは塚本邦雄が導いた難解短歌化が進んでいるように思える。