「ヴィレッジゲイト」という門前のドルフィー
『Evenings At The Village Gate: John Coltrane with Eric Dolphy』(1961年8月録音、リリース2023年7月)
このアルバムはコルトレーンの凄さよりドルフィーの凄さを聴くべきアルバムであり、それ故に第66回グラミー賞の最優秀アルバム賞にノミネートされたのだ。なにより拘束具を外した「エヴァンゲリオン」のようなコルトレーンとドルフィーの共演盤それまであまり知られてはいなかった。それは正式にはドルフィーとの共演盤は『アフリカ/ ブラス』やアトランティックの『オーレ』からライブ音源の『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』まで何種類かあるのだが、そこでのドルフィーはアレンジはともかく演奏はコルトレーンの影に収まるようなものでしかなかったのだ。実際にはライブ演奏ではヨーロッパツアー・ライブ盤(海賊盤)で知られていたりしているのだが(ここまで音がいいのは貴重な録音だ)、それらの演奏を聞いたものは、もしかしてコルトレーンよりドルフィーのほうが凄い!というものだった。ドルフィー・ファンからしてみれば当然のドルフィーなのだが、世間一般的には、コルトレーンのスピリチュアル・ジャズはコルトレーンが独自に開拓したものだと思われがちだが、このアルバムを聞けばその演奏がドルフィーなくしては生まれなかったのがよくわかる。なによりも凄いのはこの演奏が1961年なのだ。
「My Favorite Things」の熱さは、コルトレーンの1960年のスタジオ録音と比べられるべきものじゃない。1960年盤はJRの観光旅行のCMに使われるぐらいに定期演奏だとしたらこのライブ盤の演奏は巨人が正面衝突するぐらいの通常ではない異常な熱気に包まれている。コルトレーンとドルフィーはライブのたびにそのような演奏をしていたのだと思う。1961年のクインテットにはドルフィーは必要メンバーだったのだ。しかしながらこうした白熱ライブは世に出ることはなかったのだ。それは大手レコード会社の戦略だったかもしれない。しかし、コルトレーンがドルフィーとの共演以降に長尺ライブで延々にサックスを吹き続けたのはドルフィーのイメージがあったからだと思う。ドルフィーの亡くなった後にコルトレーンにフルートが手渡されて、その写真が『至上の愛』のジャケットに載せたのは、このアルバムがドルフィー追悼の意味があったのではないのか?
マルチプレーヤーのドルフィーの凄さはコルトレーン・バンド以前にもミンガスの演奏やファイブスポットのブッカー・リトルとの白熱ライブがあり、コルトレーンもセロニアス・モンクの元でファイブスポットに出演していたのだから、ドルフィーをその頃から知っていたのかもしれない。マル・ウォルドロンは両者との共演があり、コルトレーンもドルフィーも当時のニュー・ジャズを目指すグループ内にいたのだ。
なによりこのアルバムが興味深いのはそれまでドルフィー抜きで発表されていた曲がドルフィーが加わったことで、コルトレーンの変化が見られることである。例えば「Impressions」はインパルスでの最初の録音はビレッジバーンガード・セッションだが、それビレッジゲイト・セッションはそれ以前のドルフィーとのセッションが収められているのだ。最初からリミッターを外して全力で行くコルトレーンのソロ、ドルフィーはいつものスタイルで応酬する。
そして「Greensleeves」というイギリスの子守唄のような民謡が狂気の世界へと誘うのである。
なによりこのライブ盤の「アフリカ」が想像以上に凄い。
スタジオ盤ではドルフィーが若手ミュージシャンを指揮したブラバンの中でコルトレーンが咆哮する。しかし、ここでは少数精鋭でブラバンの部分をドルフィーがひとり受け持つのだ。これはミンガス・バンドでも少数でビッグ・バンド的カラフルなサウンドを出す手法を真似たのかもしれない。『アフリカン/ ブラス』と同時期に吹き込まれた『オーレ!』の方は少数精鋭でのスパニッシュ・メロディというかインド音楽の影響を受けていて、こちらでもドルフィーのアレンジが光るのだ(というかこれは名盤)。
『Evenings At The Village Gate: John Coltrane with Eric Dolphy』の「アフリカ」では一番弱点になるのはベース・ソロかもしれない。ダブル・ベース(二人ベース)か、後のジミー・ギャリソンのようなベース・ソロが取れる人材が必要だったのだ。まだこの頃はコルトレーン・カルテットの最強以前の流動期であり、その中でもエリック・ドルフィーというミュージシャンとの双頭コンボだったのである。そのままの形で「ライブ・イン・ジャパン」まで飛んでいっても違和感がないはずである。むしろ「ライブ・イン・ジャパン」はこのアルバムの二番煎じかと思えるほどなのであった。「ライブ・イン・ジャパン」ではここにいるメンバーも総取っ替えという感じだが、コルトレーンが次世代のミュージシャンに伝えたかったものがあるのだろう。
それにしてもこのアルバムが1961年というのが驚きである。日本ではやっとメッセンジャーズのハードバップが入ってきて頃なんだから。あとエルビンのドラムは今聴いても凄い。