シン・現代詩レッスン114
谷川俊太郎「さて」
『現代詩手帖2024年1月号』特集「現代日本詩集」から谷川俊太郎「さて」。去年の新年号に掲載された谷川俊太郎の詩。今年はないのだから、ほぼ晩年の詩なのか。『現代詩手帖2025年1月号』には、谷川俊太郎の名前がないので、その「喪失感」たるやこの目次が詩みたいだ。谷川俊太郎への追悼詩もあるし。
谷川俊太郎ぐらい詩を体現した人はいないだろう。もう呼吸が詩みたいな人だった。何を書いても詩になってしまう。そういえば「ぼくは詩人にはなりたくなかった」と書いたのも谷川俊太郎だ。その逆説が見事に詩人に成りえているのか?
絶妙な言葉なのは、それが問いになっているからだろう。自分では昨日書いた詩なら傑作だとおもってしまうのに。谷川俊太郎を通りすぎて、退屈な詩だと反省するか?「さてどこへ?」という合いの手だよな。
宇宙というキーワードが谷川らしさかな。これは内宇宙を言っているのか。死はその外側にあるものではないのか?教えてくれと言っても教えてくれそうもない。それが死=詩の難しさか。
「クリシェ」と平気で言ってしまう。フランス語で常套句ということだとネット検索したが、そういうことではないような。たんぽぽを踏まずということは?わからん。呟きは「以前ツイッター(現X)」をやっていた。そこに最後の詩が出ているかもしれない。囁きぐらいがいいのか?クリシェが呟きでたんぽぽが囁きなのかもしれない。
あまり大声で言わないほうがいいんだな。ひそませるぐらいで。怒りも喜びも哀しみも楽しみも。褪せていく刺青とは、ジャニスの青い向日葵を思い出す。刺青のない人生から刺青のある人生へ。そして消すことが出来ない刺青は褪せていく。「愛の/ 騙し絵」というのは谷川俊太郎の詩全般に感じることだった。騙し絵みたいな。ひょっこりどこかで詩を書いているのかもしれない。