シン・俳句レッスン58
菊。いまいち現在では人気ないのだろうか。花壇で見かけるのも少ないような。日本の国花でもあるんだよな。菊の紋章。『菊と刀』だよ。「刀」の方は人気があるが。
のっけから凄い句があった。
俳句いまむかし
坪内稔典『俳句 いまむかし みたび』から。冬からやっていこう。
冬・新年
耳輪よりイヤホンが欲しかった。
満員電車で突然の大音量とか。
これは「赤蜻蛉」は秋の季語だがすでに冬の情景の赤蜻蛉の静謐さが彫刻のようだと。これはけっこう好きな句だ。
英雄も寝る時は入れ歯を外すということらしい。そして自分も外して寝る。くすっと笑える冬の夜。夜は目覚めていることが多いからぴんと来なかった。
ニッケルの時計とは?わからんがなんとなく安っぽさを感じてしまう。だから止まるんだろうとか。寒き夜半は今の時間帯だった。
もう夜明け前。暁だっけ?
「田村くん」は入れ替え自由だというが、入れ替える友がいない。
人形ロボットのほうがいいか?
この言葉遊びの感じは好きだ。けりが勢いよく通りすぎていく感じ。
「たり」でやってみた。最後は字足らずになったがいい感じだと思う。
「ハシビロコウ」を知ったときからこの俳句をつくりたかったような。木枯らしはそのダシガラみたいなものだな。季語よりも従属が目立ちすぎてしまう。
「木枯らし」よりも「凩」の方が趣があるように感じる。言水はこの句が有名になって「凩の言水」と呼ばれたそうだ。「木枯し紋次郎」より出来そうな感じだな。
「ツワの花」はツワブキの花。カタカナなのが減点かな。蕗にすると食物になるのか?蕗の花にすると違う植物になる。それでツワになったのか?
漢字の方が落ち着くと思ってしまうのは俳句脳になっているかもしれない。
家族をめぐる俳句
夏石番矢『超早わかり現代俳句マニュアル』から。
母
おしっこを漏らしてしまったのを詠んだのか?「ルリロルリロ」がおろおろしている感じでいい。
観念的に詠む。
ノスタルジックな母。
幼い子どものイメージする包容力がある母の句。
父
子供の観念に棲みつき、幾分老齢化した父。
昔の追憶が記憶される父の姿
父の精神性を形象化した俳人に高柳重信がいた。
家父長制としての父が消えてしまった現在の父はもっと軽い。
兄弟姉妹
兄弟姉妹の中では姉が一番重きをなすという。
暗黒舞踏の土方巽は自身の中に姉を見る。
姉は吉祥天女なのか。そいういえば仏教の台座になる邪鬼の姿にも似ているかもしれない。
アニマとしての姉は高柳重信の作品に登場していた。
妹は姉よりも可憐に登場する。
兄を華やかに詠む俳句は少ない。同性愛的なあこがれの対象としてはあるようだが、兄は衰弱したり死んでしまった時に愛される存在になるという。
弟は愛らしくいたずらっ子か憎しみの対象として存在する。
夫・妻
配偶者は、おしなべて愛情に包まれて表現される。
新妻との初夜をモチーフにした俳句史上名高い日野草城『ミヤコ・ホテル』がある。
日野草城を批判した中村草田男でさえ、のちに『火の鳥』で妻をモチーフとして詠んだ。
子に対しての愛情表現。「吾子俳句」としての書き手は中村草田男が第一に上げられる
家庭環境は我々の日常でありながら、日常を支える観念であり、幻想でもある。現代俳句では崩壊する家族より、過去の幻影としての家族を描く傾向があるようだ。
母を詠んでみた。