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シン・俳句レッスン9

今日の一句

向日葵。夏の花真っ盛り、という感じなのだが、ウクライナのイメージが強いのは映画のせいだろうか。侵略するロシア兵に、猛然と抗議して、「向日葵の種をポケットに入れておきないさい」と言い放った老女のニュースを観た。それで一句。

向日葵の種ポケットに占領軍

あるいは、いつでも死ねるように。死後をイメージして。

旅人や向日葵の種ポケットに

山口誓子

坪内稔典『俳句発見』では俳句の自覚した方法論を持った俳人として誓子の「写真構成」が上げられている。それは映画におけるモンタージュの手法で二物衝撃であるのだが、新しい「現実」を、新しい「視覚」に於いて把握し新しい「俳句の世界」を構成しようとしたものだという。言葉だけでは難しいので俳句を上げてみよう。

流氷や宗谷の門波荒れやまず
夏草に汽罐車の車輪来て止まる
炎天に遠き帆やわがこころの帆
夏の河赤き鉄鎖のはし浸る
ピストルがプールの硬き面(も)にもひびき
海に出て木枯らし帰るところなし
せりせりと薄氷(うすらひ)のなすままに
天耕の峰に達して峰を超す

「流氷や」は『凍港』という句集から。北海の荒涼たる大系を「写真構成」という手法で詠んだ句とされる。新しい素材を想像力によって構成していく。流氷を砕いていく船舶からの視線。作者の想像力なのだ。

「夏草に」は誓子の代表句だが、夏草と汽罐車の車輪という二物衝撃(自然物と近代的な物)の俳句にさらに、「車輪来て止まる」という知的な構成を映像的に導き出している。

「炎天に」という自然の情景に遠き帆という近代的帆船、さらに「こころの帆」という自己との関係性を詠んでいる。西東三鬼は「誓子を除外して現代俳句は有り得なかった」と述べている。

「夏の河」という五連作の中の一句。連作は秋櫻子も試みているが誓子との違いは秋櫻子は設計図法とよばれ、まず全体を見通して詠まれた句があり、それに付随する連作から出来ているが、誓子は個に拘って、個の俳句によって組み合わせるので秋櫻子のような全体的な設計図が必要ではない。感情の流れに沿ってモンタージュ的に構成していく。

「ピストルは」は競泳のスタートのピストルの音。「ストル」と「ール」という破裂音が「硬面にひび」(水面)に硬質の脚韻と響き合う緊迫感を伝えている。

「木枯らし」の句は池西言水の「木枯らしの果てはありけり海の音」を踏まえているという。ただ「木枯らし」と「海」が一体化した句に対して、誓子の句は個の虚無感さえ感じさせる句になっている。

「せりせり」の擬音の見事さが「薄氷」の状態を伝えているとか。よくわからんが。「すりすり」の方がいいんじゃね。すぐに溶けてしまう感じが。そっか薄氷視点に立つと「せりせり」なのか?

「天耕の」の句は「倉橋島」の詞書があるという。西東三鬼の墓参りだそうだ。

坪内稔典『俳句発見』というエッセイ本を図書館で借りた。坪内稔典は子規の弟子を自認するが虚子への反発が強いという。虚子の有季定型の花鳥諷詠だけが俳句ではないというような。季語を立てるというのが基本なのだが、稔典は季語をずらすということも言っている。

稔典は俳句の基本は二物衝突なのだという。それが一番基本にあることで、季語に対してあるものを並べることによって詩的感情を生み出すという。それは読み手に想像させるというような。その座によって様々な俳句の解釈が読まれることによって十七音の世界を広げていくというような。

一つは方法論を述べているのだが、かつての改革者は方法論に自覚的であった。でも最近は方法や技術より心が大事だと言うのだそうだ。そう思って詠めと言われても勝手に俳句ができるわけじゃない。昔の優れた俳人は例外なく方法論を持っていた。

正岡子規=写生
高浜虚子=客観写生
水原秋櫻子=しらべ
山口誓子=写生構成
中村草田男=象徴
金子兜太=造型

俳句の伝統的方法、切れ、取り合わせ、即興の基本に各俳人特有の方法を見出していたというのだ。

それが個性となってくるような。

そして最近の俳句の読み手は老人が多いという。それが俳壇の老人化に拍車をかけているのだ。例えば人生のバリバリの現役な人は俳句なんて見向きもしないだろう。人生を降りた人やリタイアした人に俳句は魅力を感じる。それは短詩ですぐ作れることや四季を通して自分の居場所を作ることができる。ほとんどそういうことなんだろう。だから句会という座の中で居場所がある人は続けてられるのだろうか?

坪内稔典の俳句理論はわかりやすいし実行しやすいと思う。そこに魅力を感じる。また自由律の問題についても、子規や虚子以上に山頭火がもてはやされるが、それは方法論よりも生き方そのものであり、彼等の後継者に女性がいないのは保守的過ぎるからだと言う。それもなんとなく納得してしまう。今は女性俳人も無視出来ない存在だった。虚子は彼女らに門戸を開いたのであろうということはそうかもと思う。

昨日、この本について書いた文章が保存出来なかったので今日は最初に持ってきた。でも昨日書いたこととは違っている。

北大路翼

北大路翼『廃人』は第三章で技術論を語っている。ここは興味深い内容だ。まず俳句の思いとテクニックは別だとする。これは同感。心で読めというものは信用出来ない。まず表現にはテクニックが必要なのだ。それ以降に心の問題なのである。

俺のようだよ雪になりきれない雨は
悲しさを漢字一字で書けば夏
今日だけは網走の夜は吹雪くなよ
種付けを終へし牧場雲一つ
ちょっとちょっと天の川には吐かないで
ごきぶりを笑へる飲食屋でありたい
会えばセックスまだぬるい貼るカイロ
ウォシュレットの設定変へた奴殺す
日本語の乱れのやうな夕立かな
炎天や海は本来しずかなもの

まあ、方法論なんてクソ喰らえ、みたいな俳句なのか?と最初は思ったのだがこれは雪から雨という観察眼がものを言っているのだ。そこに自己主張して破調になる。そこにある物体を「色」「形」「運動」「テクスチャ」「奥行き」「カテゴリー」を瞬時に無意識にやっているのだという。「色」だけ見ても「色相」と「彩度」と「明度」の3つからなる。具体的な色、とその輝き、そして明るさ。「雪になりきれない雨」は灰色で輝きはあるが暗い感じだろうか?

「夏」という季語の「カテゴリー」化だろうか?

「網走」と「歌舞伎町」の位置関係なのか?「網走の夜」は映画の世界だ。作者の健さんのあこがれ的な

情事の句だという。季語は発情期だから春かな。「牧開」が春だった。雲一つで果てた感じか?この雲は煙草の煙だった。

「ちょっとちょっと」は擬音のテクニック。「天の川」は溝の側溝に見立てているのか?リフレインは定形でなくても詩的感情を起こさせる。

「ごきぶりを」句は「ごきぶり」が夏の季語か?「飲食屋」をそのまま読むと字余りになるので、これは「めしや」がいいと思う。「でありたい」が間抜けな感じの下五だけど。でも「ごきぶり」はほとんどの飲食店には出てくるような。ごきぶりがいない飲食店のほうがむしろ怖い。

頭が7音だが5音5音で17音だった。最近は17音で基本だと思うようになった。これはラップ的な俳句だと思う。

「ウォシュレット」がある店だからそれほど古びれた店ではないのだ。そのへんが微妙に歌舞伎町なのかもしれない。上五が七音だが、上五の考え方として名詞四音+助詞という構造がある。その名詞が最新のものなのだ。これは変えられない。だからそれ以降は7音5音で定形なのか?リズムとして5音の繰り返しは重要だとする。だとしたらここも7音の繰り返しは重要なのだろう。日本語の名詞は3音か4音が多いのだ。だからそれに助詞で5音に出来る。名詞はポイントになる言葉だという。

「夕立かな」が字余りで乱れている。

「炎天や」も下五が字余りだった。「しずけさや」とかできないのかな。やが重なるか。「炎天の」にすればいいのかもしれないが「炎天や」は季語が立っているのだ。逆説の俳句なんだ。

渡邊白泉

川名大『渡邊白泉の100句を読む』も今日が最後にしよう。図書館本なので返却期限が来てしまった。ただ白泉は学びが多かった。戦火想望俳句でも傑作として名句を残した。また連作という効用も学ぶべきものがあるかもしれない。連作は今後の課題だ。

石橋を踏み鳴らし行き踏みて帰る
朝曇激しくゴオゴリをほめ黙る
花の家思想転変たはやすく
秋晴れや笄町の暗き坂
熊手売る冥土に似たる小路かな
春昼や催して鳴る午後一時
檜葉の根に赤き日のさす冬至哉
赤土の大きな穴ある枯野かな
大盥(オスタップ)・ペンデル・三鬼・地獄(ヘル)・横断
おしつこの童女まつげの豆の花
谷底の空なき水の秋の暮

「踏み鳴らして行き踏みて帰る」の動詞の反復による対句表現。これは「英霊帰還」の句だという。反復の鉄則として繰り返される言葉は前とは意味が違っているのだ。行きは勇ましく踏み鳴らしているのだが、帰りは寂しさを感じさせる。
「英霊帰還」の句は他に。

母の手に英霊ふるへをり鉄路  高屋窓秋
山陰線英霊一基づつの訣れ   井上白文地

「ゴオゴリ」は「ゴーゴリ」で作家の名前で象徴する情景を読んでいるという。「ゴオゴリ」は官僚性の象徴的な言葉。白泉の読書家の面を伝える句。

「花の家」の花は桜。「京大俳句事件」の後に転向していく仲間や桜を称賛する「聖戦俳句」が詠まれて行ったことを句にしたという。

笄町」は麻布にあった地名。すでに変わっている。少年時代の郷愁の句だという。白泉にしてみれば古典的な作風なのは、弾圧後の変名を使った投稿句だからだ。

「熊手売る」も弾圧後の投稿句。阿部青蛙と共に古俳句を研究したという。「冥土に似たる」は脚韻は「熊で売る」と呼応していく。最初は「冥土のごとく」だったという。

「春昼や」も芭蕉以来の「~や」の切れ字の基本形。ただ「春昼」と「午後一時」は付きすぎだな。むしろ中七の「催して鳴る」に工夫があるという。戦時中の昼のチャイムは鳴る前にそれとなくわかる予感があったのだという。それが「春昼」のようだという句の意味だという。そう説明されなければよくわからない句だ。

「檜葉の」句も結語に「哉」を持ってきた古俳句の形だった。石田波郷の、切れ字の進めみたいなことを言っていたのと連動したのか?

「赤土の」の句もその後の白泉というような、それは戦後の情景とも重なる虚しさがあるような。

「大盥(オスタップ)・ペンデル」はイリフとペトロフの合作小説『十二の椅子』だという。解題は西東三鬼が京大弾圧事件に於いて釈放詐欺事件を起こしたということだった。それは二人の間に決定的訣別をもたらしたのだ。そして「地獄(ヘル)は海軍時代の下士官虐めの地獄ということらしい。

海軍を飛び出て死んだ蟇(ひきがへる)

このような名詞を連ねる句は富澤赤黄男にもあるという。川西大はブレーンストーミングと言っている。

白泉は弾圧事件の後も俳句を作り続けたが戦後はふたつの傾向がみられるという。一つは小さき者に対する慈愛の眼差しの句であった。

そしてもう一つは虚無感や孤独感につかれた句であり、句集『白泉句集』の最後に置かれたのがこの句であった。

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