シン・俳句レッスン11
今日の一句
ピントがあってないヘクソクカズラ。漢字で書くと屁糞蔓。酷い名前を付ける。すり潰すと嫌な臭いを発するという。夏の季語。万葉集にも読まれる日本の古来種。地方ではサオトメカズラ(早乙女葛)とも呼ばれる。
「そうきょう」が薔薇の花で権力の象徴なのか。それに絡みつく屎葛(くそかずら)というのは卑下しているのか、そういうシステムを揶揄ってるとも読めるけど。高宮王が奈良時代の公務員の宮仕えに関する決意表明を歌に表したものとあるが。
虚子の句。
今日の一句。
酔っ払いが誰かに絡んでいるような。
鷹羽狩行(たかはしゅうぎょう)
山口誓子・秋元不死男系譜の明快なカメラアングルを即物的に詠む俳人とか。
スケートが流行っていた頃なんだろうな。今だとどこだろう。イオンとか?
「みちのくの」は古い感じがするが「星入り氷柱」が斬新な造語だという。下五は「よ」で締めるのはありだ。
「天爪粉」は「天花粉」。天花粉と子供は付きすぎだが、「無一物」が斬新だという。「一物」だから男根ということか?女の子のことか?先日作ったのは凡人の作だったのか?
「摩天楼」の句は、摩天楼からの眺めでよく「新緑」の季語で引用される。現代俳句の海外俳句(国際化の進んだ現在の海外を詠んだ俳句)の記念碑的作品のようだ。バブルかよとも思うが。
「蛙の夜」の句は、海外からの帰国を詠んだもの。この父親像は家父長制的ではなく優しさがあるという。
「厠より」は、「新年百句」の冒頭句。新年という神聖な幕開けを「厠より」としたことが俳諧味かな。便所の句は他にもあったような。
「紅梅」の句は「枝枝」は「枝々」ではないのがポイントか。また「奪ひあひ」の旧仮名遣いが「奪い合い」よりも混乱した姿を表しているようにも感じる。
「蛇よりも」は虚子の名句「流れ行く大根の葉の早さかな」を踏まえているという。幻視的なことか?違った。実際に蛇を棒で殺して川へ投げ入れた情景だと。非情さの俳句ということ。
「麦踏みの」はよくわからんな。麦踏みの経験がないから。退屈な作業であるから、何か精神力を鍛えていると思い込んでいるのか?一物仕立ての句で孤独な情景だという。
「雲母」の系譜
「雲母」は飯田蛇笏が主催した俳句誌。息子である飯田龍太に継承されているのか。虚子の花鳥諷詠に対して自然の中に生きる人間性を中心に詠んだ。「雲母」の自然は原風景だという。つまりすでに喪失した自然なのか?
里芋な露に映し出された連山の幻影。露は幻影の入り口だからな。
「晩稲(おくて)」遅くなる稲。嵐が来る頃なのか?
「をりとりて」はひらがなにすることによって薄のたおやかさを感じさせている。
「鰯雲」の句はよくわからん。なんで水が早くなるんだ。音なんだそうだ。日陰の水路の音が早く聞こえるということ。よくわからんが。雲の流れと関係あるのか?多分そうだ。魚の群れの早さなんだと思う。人間っていうのは立ち会っている人ということなのか?人間が中心というのもよくわからん。
現自然というのは日本的風景のことらしい。「美しい日本」だった。
故郷の使い方が保守的だ。やっぱ美しい日本という感じ。飯田蛇笏も龍太も山間の里山的農村地に住んでいたという。夏は暑く冬は寒いという自然の厳しさ。全体的に農村定住者のようだ。