和ジャズはこのアルバムから
『孤軍 (Kogun) 』(1974年)秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンド
エレジー (Elegy) - 9分9秒
メモリー (Memory) - 10分18秒
孤軍 (Kogun) - 6分45秒
アメリカン・バラッド (American Ballad) - 5分45秒
ヘンペックト・オールド・マン (Henpecked Old Man) - 9分8秒
和洋折衷の究極を示した「孤軍」、50年代の代表曲をビッグ・バンド用にリメイクした「エレジー」等、すべてのレパートリーに気迫が漲る。秋吉のピアノと作編曲、タバキンのフルートとテナー・サックスはもちろんのこと、ボビー・シュー、マイク・プライス等、参加メンバーえにも注目したい。
アメリカで最初に和ジャズが認知されたのはこのアルバムではなかろうか?「孤軍」の鼓の使い方がその場を一気に支配する。イントロのところでその場を支配してしまう和楽器の存在感を示したものです。それは日本の現代作曲家武満から得たものかもしれない。リズム主体のジャズに取って鼓の間の響きが音楽となる驚きがあったものと思われる。琴でも尺八でもなく、これほどの和の楽器はないでしょう。
穐吉敏子はJ.A.T.P.(ノーマン・グランツによりアメリカで結成されたジャズ大使のグループ)で来日したオスカー・ピーターソンに認められてデビューしました。それが縁でアメリカに渡りますが、物見珍しさもあって(日本の少女がパウエル並にピアノを弾く)人気を博しました(女パウエルと異名を授かる)。しかし、アメリカでは様々な差別もあり物珍しさだけでは通用する世界ではなかったのです。
いくらピアノが上手くても所詮パウエルのモノマネ芸だと思われてしまってはそれまでです。そんな彼女はピアニストしては苦労します。オリジナリティが必要だったのです。そこでビックバンドのリーダーとして、ジャズと日本を取り入れることでオリジナリティを獲得したのです。その最初のヒットが『孤軍』でした。
『孤軍』は小野田少尉がルバング島で発見されて終戦29年目としにして帰還したニュースを元に作られました。このバンドでのパートナーのルー・タバキンは和楽を研究尽くしている感じで、彼女の意図をよりよく理解しているように思えます。二人の信頼関係があるからこそ、ジャズと日本が結びついたといも言えます。そのあとに『みなまた』という問題作も出しています。
(ジャズ再入門vol.45)