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短歌レッスン、2時間目

午前中短歌を一首作るまで出かけられないと思ったらこんな時間になってしまった。

テキスト『短歌という爆弾』1製造法──「想い」を形にするためのレッスン

まず「猫又」という同人誌なのか結社なのか知らんけどそんなかで同好会みたいに和気あいあいと短歌を作るのってどうなの?と思うのだが、そこは穂村弘には意図があるのかもしれない。一般ピープルに混じってテロリストとしての存在感を消すとか。

それで相手が東直子なんですよ。この人は結構天才肌だとは思うが、俵万智が天才だったとしても成れの果てが短歌界の重鎮となってしまう。そうなったら終わりだと思うのです。もう歌会始めに出るしかないじゃないですか?

そう言えば俵万智『サラダ記念日』と同じ角川短歌賞に『シンジケート』を出して次点だった。その俵万智の仮想敵として東直子と対峙しているのかもしれない。

【『シンジケート』新装版発売】現代短歌の旗手・穂村弘の歌の魅力 | P+D MAGAZINE https://pdmagazine.jp/works/homura-syndicate/

で、この後も東直子と組んで何冊か本を出すんですが、『短歌の友人』ですよ。出版社が付けたのもしれないけど、『短歌という爆弾』からずいぶんかけ離れてしまった感じです。

文句はこのぐらいにして、今日のレッスンでした。いきなり短歌を作れと言っても難しい。そこでお題が必要になってくる。俳句では季題とか言うですけど、短歌は題詠というのだそうです。ここではお題になってますけど。

それで今日のレッスンは帽子で一句作ること。

まず選評と歌を見てみます。

オニヤマンしっぽがかわいていたむぎわらぼうしの香り遠のく  大内恵美

穂村弘◎、東直子△。穂村弘の麦藁帽子好きは、寺山修司にありそうだ。むぎわらぼうしが子供時代の象徴で、かわいていたオニヤンマのしっぽの香りが懐かしさの匂い。それは喪失したものの悲しみですね。

それを東直子は「情け容赦ない死骸の描き方」とするのですが、そこは違うと思うのです。寺山修司に引き寄せればそれは供養という儀式の呪術を含んでいる描写です。天日干しにされた自然界の儀式を呼び覚ます。

おばちゃんに帽子踏まれて痛かった?うつむく人に湯気をあげよう  吉野朔実

穂村弘△、東直子◎。先の歌と逆パターンです。

東直子は帽子を擬人化した子供が痛かった?と言うふうに取っているけど、そのあとのうつむく人はハゲオヤジで明らかに怒っている絵ですね。

穂村弘も下句の面白さを取っている。でも湯気をあげようの解釈が違う。子供がお茶とか出すとか言っている。そうか?おばちゃんが子供に「帽子踏まれて痛かった?」と言っているのか?子供が第三者的に見ているのだと思ってしまった。

まあ混乱する歌でコントのような最近の歌ですよね。お笑い系な。

電車でGO!なりきりオヤジ頭には信じたくない運転帽子  梅田ゆに子

穂村弘、東直子両人とも△ですが、この歌が一番インパクトが強かった。でもお笑い系かな。なりきりオヤジがなんとなくわかるし、インパクトが強い。それを「信じたくない」という世代間のギャップですかね。私はオヤジよりに読んでしまいます。口語の力というのは、最初の「電車でGO!」なのかな?「なりきりオヤジ」もそうか。

帽子から飛び出した死を追いかけてカラスが坂を駆け降りてくる  宇田川幸洋

穂村弘△、東直子◎。現代短歌的なイメージが一番強いのがこの一首だと思いました。詩の言葉は死に繋がる印象ですか。難しい。詩の言葉の重要性がお笑い系にはならない短歌ということですかね。

で、帽子で一首出来ました

ボルサリーノ銀幕の闇脱いでくれ!帽子脱げば光眩しい

お笑い系なブラックでいってみました。まだまだですね。最初が字余りで切ればかりで良くないかも。

付録「メールレッスン」

ミュージシャンの神谷きよみ(パラボラというグループみたいです。知らんな。)さんのメールレッスン。こういうのはお金のためにやっているんだろうか?と考えてしまう。個人的に親しいんじゃないでしょう。個人レッスンは羨ましいけど。

まず「オートマチックな表現」は避けろという。「東から西へ」とか。具体的な名前商品名とかOK。「グリコパピコ」とか。それをさらに記号を使って「グリコ/パピコ」にすると目でも楽しめる。最近は朗読より活字ですから。固有名詞は武器になるということなんでしょうか?広告みたいで消費されていくのではと考えてしまう。

あと韻文のリズムですよね。これが一番大切だというのは寺山修司譲りなのかもしれない。実は一番これが苦手。

「うたの日」という毎日短歌投稿サイトがあるようです。そこに参加してみますか?一日一句を目標に。


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