シン・俳句レッスン123
蓮の花
「蓮の花」の俳句は多そうだ。日本人の生活に密着しているというか仏教では外せない花である。
正岡子規が多いのはやはり蓮の花に祈ることがあったのか?でもこの句は面白い。そういう池が近くにある生活をしてみたいものだ。
先日の一句。
芭蕉のパクリ。これはありそうだな。
飯田蛇笏
仁平勝『俳句が文学になるとき』「飯田蛇笏『山廬集』──小説ということ」。子規も虚子も小説家を目指して挫折したという。しかし蛇笏は小説を書くように俳句を書いたのだという。それは境涯俳句というこのなのだろうか?
「葬人」が読めない。「ほふりびと」と読ませているのだが「ほうむるひと」を造語したのであろうか?「歯あらわに」がデフォルメの技法だという。会葬者の感情表現の激しさを小説的に描いたという。
虚子の観賞が出ているのだが、芭蕉の句「塚も動けわが泣く声は秋の風」と比較して褒めていた。ただそう思うとけっこう作者は冷徹な目で会葬者を眺めていたのかもしれない。虚子はそれを「客観写生」だという。しかし仁平勝は「デフォルメ」だという。どちらかと言うと「デフォルメ」で滑稽さを出したかったのかもしれない。それに合わせて「曼珠沙華」という聖なる花を合わせる計算された句なのだろうか?
そのことで小説的と感じるのはあるかもしれない。漫画的でもあるが。仁平勝は、それは「客観写生」ではなく感情移入した表現だと読む。それが「デフォルメ」と鎮めるための曼珠沙華の取り合わせなのだ。「デフォルメ」だけでは滑稽句で終わってしまうのに「曼珠沙華」を合わせることで一つの物語を完成させた。それは虚子がいう「季語」の力なのだろうか?仁平勝は象徴だという。死の象徴としての「曼珠沙華」。
これも読みがわからん。「眼吻(めす)はなん」ということだが、「吻」に吸うという意味があるのだろうか?「ふん」と読み突出している部分であるので無理がある読みだな。多分。吸うと混乱したのかもしれない。
これもデフォルメとして使ったのかもしれない。虚子は「露の秋」が清楚なイメージでそれまでの俗っぽい漫画的描写と対比させたのかもしれない。
蛇笏の俳句は信濃の農村を基としてその生活を読む。単に観光地的な吟行ではないのは、「空にしづまらず」という生活者の眼であるという。雀の群れが黒い影のように案山子を覆う感じだろうか?そこに可愛い雀はいない。
蛇笏の格調ある俳句とされるのだが、田舎暮らしの正しさをその信州の山を見て歌ったものだろうか?「影を正しうす」というのは信州に家長として戻ってきた「放蕩息子」としてふるさとを遠くにあるものとして賛美するのではなく蛇笏の自然主義リアリズムの現れだという。
「酒肆(しゅひ)の婢」酒場の女を婢という。乳が張っているという明らかに蔑みがあるように思える。かりがねは旅の雁ということで男にたぶらかされたのか?ここではそれは村の共同体の何気ない生活の一コマだというのだが、ただそれを俳句に詠むのだから意識してのことだろう。
死と隣合わせの人を美しきと詠む蛇笏であった。そうした死に対する浪漫主義的なところが苦手なのかもしれない。まだ最初の「歯あらはに泣く」デフォルメの句の方がいいような気がする。芥川龍之介がこの俳句に出会って蛇笏の評価を変えたという。死の賛美があるような。
薄のおもきをひらがなで表現する。なかなかのテクニシャンかと思うが重い句はいまいち俳諧というのに反しているような。そこが蛇笏の小説(文学)的ところなのだろうか?虚子のいう俳句とは逆の方向性だった。
NHK俳句
第四週は句会だった。NHK俳句で一番面白いと思うが実際にこういう句会ができないものか?自分が参加してないから面白いと感じるのかもしれない。花の句があり、やはり旧保守派は「桜」と読むんだと思った。それも切り花ではなく、実際に木に咲いている桜だという。だとしたら花を詠みたいときは実際に花の名を出すかしなければならないのだろうか?今は国際的に俳句が広がっているので、地域ごとにその季節に咲く花が違うという。でもやはり句会はそういう約束でするものなのかとは思う。電車で花は車窓から見た桜とはそうも読めると思った。
特選。なんかもうバレバレな気がするけど高野ムツオの作品。
生ビールでおじさん俳句かなと思ってしまう。ただもうひとりのゲストの俳人の人の読みが凄かった。この生ビールが電車の中ではなく、新橋のように上に高架線、下に地下鉄のガード下の大衆酒場だという読みだった。新橋ではなかったが、大阪のゴミゴミした大衆酒場だった。電車の中なら缶ビールが相応しい。なかな電車の外の情景っって詠めないと思うが、俳人の視点は外にもあるのだった。
これがいいと思ったが解釈は真逆に香水の匂いをさしてみたいな句だと思ったら女性の句だった。香水を満員電車でも付けるものなのかな?付ける人はつけるんだろうな。それが迷惑だとも思わないで。
芭蕉
『芭蕉紀行文集』から「笈の小文」。
「笈の小文」は芭蕉の死後にまとめられた紀行文集で芭蕉の俳文が統一されて書かれているわけではなかった。ただ有名な芭蕉の言葉があった。
この言葉(表記は旧字から直しているが)が蕉風の要になる言葉なのだと思う。ただそれらは雅な世界ですでに現代には無くなってしまったのだが、それを造花するという。この「造花」というのは道教から来た言葉なんだろうけど、ようは造花の花のように作るということが俗だということなのか?「俗花」ということなんだろうな。それは自然の雅なものに対しての俗な行為(大衆性)その二物衝動なのか。
旅人は古の西行とかなんだが、そういう名で呼ばれる俗な行為として真似するときに初しぐれに出会う雅さを感じるといいうことか?