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シン・現代詩レッスン85
白石かずこ「中国のユリシーズ」
昨日の続きで白石かずこ。白石かずこがなお今、現代詩で重要な詩人として読まれ続けているのは、昨日、中国映画を観てちょっと感じるところがあった。
ちなみにYouTubeでこの詩を朗読する様子も上がっているがそっちは喜劇かと思ってしまった。
中国のユリシーズ
ふりかえると顔がなかった
おのれの
生まれたての顔が
顔は国であり
国は赤い思想に寝とられて
もはや顔のない
くちづけする唇のない おのれの顔
あとにして
彼は往く
「顔がなかった」という詩的言語。それは中国の人民服を着た当時の全体主義かもしれないが、今の中国や日本にも言えることかもしれない。「くちづけのする唇のない」は白石かずこしか言いえない詩的言語かもしれない。「のっぺらぼう」どこかで聴いたな。『ゴールデンカムイ』の登場人物だった。
ふるさとは見知らぬ地図の下にある
おふくろの子宮のサインだけが
彼の生国のパスポート
彼は なんと名のっていいか戸惑う
彼は 国を出て
戻ることを知らないユリシーズ
戻ることのできないユリシーズ
戻る日をもたないユリシーズ
ふるさとを失った根無し草のユリシーズは、ジョイスのほうではなく、
ホメロスの「オデッセウス」の方だろう。三連続リフレインが効いている。ただのリフレインじゃなく少しずつ言葉をずらすのもポイントが高い。
それは中国の亡命者かもしれないし、北朝鮮の脱北者かもしれない。いや世界中でそうした難民が増え続けているのだ。そうした現代の人々と詩の始源とされる一人ホメロスの「オデッセウス」(ユリシーズ)として詠んだのだ。
朝おきる 昼食から戻る
夜寝ようとする と 鏡の中にも寝室にも
顔がないので あッ
おれはユリシーズだと思う
また 国に戻らない
戻れない 戻ろうにも国のない
旅の途中の
ブルースは こうして
デキシーなんかじゃない 何千年前に
さかのぼったところの
名づけようもない独りの男の さみしい国から
きこえてくる
産湯につかって、きこえてくる
「ブルース」とあるのはその前にプレスリーについてのセンテンスがあり動画で語っているようなビリー・ホリデイの衝撃があったからだと思う。白石かずこがジャズの即興演奏にこだわるのは黒人のブルースに対する憧れだと思う。
噂のユリシーズ
そんな噂に惑わされるな!
耳を塞ぐよ
でも漏れてくる声は
姉さんの喘ぎ声のように
まとわりつき欲情させる
お望み通りの欲望を叶えますと
奴らはいい、その口で唾を吐きつける
よく姉さんはそんな奴らと口づけが出来るもんだ
それが商売だとしても
聖なる誓いがあったはず
母さんが言っていたのに
それもデタラメだというなら
誰を信じればいいのか
肉親であるのかないのか姉さんが
ただ一人味方だと思っていたのに
姉さんはぼくを無視してダンスに夢中
これがブルースなの
それもブルースなの
いまもブルースなの
ブルースっていう奴は食えない野郎だ
そう言っていた側からビターな媚態
びた一文も払う気なんかないんだ
そういうのはね、身体で払ってもらうのさ
これがそいつの顔なしって奴さ
寒すぎるよ
氷の世界は