シン・現代詩レッスン64
鮎川信夫『死んだ男』
『討議 詩の現在』城戸 朱理/野村 喜和夫から鮎川信夫『死んだ男』。ちょっと集中的に鮎川信夫をやろうと思う。あまり関係ないのかもしれないが、英字になったときayuなんだと思ってしまった。「荒地」派のayuだった。「同時多発テロ」の映像がくり返し流れていた2001年にそれ以前とまったく違う世界を生きている感覚になったという。そういうトラウマにも似た外傷が一番だったのは、やはり敗戦ということで180度価値観が代わって鬼畜米兵と言っていたのがアメリカ民主主義万歳になって、なんなら広島・長崎の原爆も戦争を終わるためで仕方がないよという意見が大勢になったりしたのだという。そんなときに、戦時も戦後も変わらずに詩を書き続けた鮎川信夫だった。鮎川信夫は、もともと悲観主義者のニヒリストだったのかもしれない。結構共感するところがあったりするのだ。
霧は未来の不透明感。先が見えない階段ほど恐ろしいものはない。そして遺言執行人の跫音。それが死んだ男であり、恐ろしく緊張した詩の始まりである。
ここで注目したいのは「ぼくら」という複数形が個人的な問題ではないということなのである。「実際は、影も、形もない?」状態とは、遺体が確認出来ない状態。東日本大震災で子どもの遺体を探しながらそれが見つけれずにいるとまだ死と確認出来ない宙吊り状態になるのは、話に聞く。そして、自分たちがその体験者であれば確かにその通りだと知る。それは紙切れ一枚の生死の通知なのだ。言葉だけの。
このMは森川義信で彼らの詩人仲間だった。森川義信の遺構詩を鮎川信夫は整理して出版していた。その前の状態であり、「黄金時代」は「青春時代」。戦時の中で明日かも知れぬ死の時間を生きるための処方箋が仲間たちと詩を作ることだったのだ。それが「荒地」派の始まりだった。
城戸 朱理/野村 喜和夫『討議 詩の現在』で城戸朱里はこの詩をオルフェウスの冥界下りに喩えている。鮎川信夫(オルフェウス)の階段はまさに黄泉の国を覗くものだったのだ。
「荒地」派のメンバーは共同作業的に詩を書いていたという。それが遊びのような処方箋としての詩だったのだろう。鮎川信夫の詩は引用が使われているという。もしかしたら「」の部分は森川義信の詩の引用なのかもしれない。これが対話詩であるのなら死者との対話なのかもしれない。それは極めて当然のように我々が古典文学に触れることと同じなのかもしれない。
実際の葬儀のシーンだろうか?遺品として軍靴。ただそれを見て死者を想像しなければならなかった。鮎川信夫の詩は、喪の詩で挽歌なのである。
「さよなら」の言葉はMが言ったとも作者が言ったとも両方に取れる。それは想像世界の否定神学の言葉として、読む者に伝わってくるのだ。傷口は作者にも読者にもある。
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