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【咎人の刻印】食欲の秋 特別掌編

《作品紹介》
『咎人の刻印』は小学館文庫より刊行。
主人公の神無は、愛を探すゆえに殺人を繰り返し、「令和の切り裂きジャック」と呼ばれていた。彼は美貌の吸血鬼である御影に拾われ、贖罪の道を歩み出す。現代の池袋が舞台のダークファンタジー小説。

『コミックNewtype』にてコミカライズ連載中。
舞台『咎人の刻印 ブラッドレッド・コンチェルト』は'23年2/16~26に紀伊國屋ホールにて上演予定。

掌編 切り裂きジャックとカインと食欲の秋


 十月も半ばを過ぎた頃であった。目を覚ました神無は、いつの間にか事務所のソファでうたた寝をしていたことに気付いた。
 半地下の窓からはわずかな光が射し、アンティーク家具が並べられた事務所内をほんのりと照らしている。

「御影君は……?」
 神無は虚空に問いながら身を起こす。
 御影がいつも使っている席に、彼の姿はない。屋敷の庭の手入れにでも行ってしまったのだろう。
 胸の上にあったスマートフォンを見てみると、東雲からメッセージが入っていた。
「『今すぐそっちに行く』、だって。なんか用かな」
 東雲のメッセージは極めてシンプルだ。スタンプを使うこともないので、彼女の会話履歴は淡々としていた。
「御影君に伝えるのは、要件を聞いてからでいいか」
 そもそも、席を外した御影を捕まえるのが一苦労だ。彼はスマートフォンを持たずに、広い屋敷内をうろつくのだから。
 事務所に置きっ放しにしてたら最悪だな、と確認しようとしたその時、呼び出し用のチャイムが鳴った。

「おっ、来た来た」
 神無はバネのような身軽さで立ち上がり、扉へと駆け寄る。扉越しに感じる気配は東雲で間違いない。
「ちーっす。御影君は今いないけど、入ってよ」
 神無は愛想のいい笑みを浮かべながら扉を開き、東雲を迎える。
扉の前には、神無よりも少し目線が低いながらも刀のように鋭く凛々しい女性、東雲がいる――はずだった。

「……へ?」
 相手の目線は、神無が想定していたよりも高かった。
 目をひん剥いて見てみると、そこには刀のように鋭く凛々しい青年が立っていた。
「遅くなった。万屋がキザ男に渡したいものがあるそうでな。調べ物のようだが、インターネットで送るには支障があるらしい」
 青年はそう言って、茶封筒を神無に突き出した。神無はそれを手に取ることなく、ぽかんと口を開けて青年を見つめていた。
「どうした? 私の顔に何かついているか?」
 青年は怪訝な顔をしながら、自らの顔に触れる。神無は口をパクパクとさせながら、ようやく言葉を紡いだ。
「いや……、どちら様ですか?」
 滅多に使わない丁寧語になる。神無にとって、あまりにも予想外だった。
 青年は、露骨に顔をしかめた。

「お前、私の顔を忘れたのか? 東雲だ」
「嘘!」
 神無は思わず指をさして叫んでしまう。
 たしかに青年の顔は、東雲と瓜二つだった。双子の兄弟だと言われたら納得してしまうだろう。だが、本人だと言われても納得がいかない。
「ついてるはずのものがついてないんだって! 完っっ全に男だから! なにその大胸筋! ハロウィンの仮装!?」
 青年の顔と胸を交互に見やりながら、神無はツッコミをする。だが、東雲は冷静だった。
「ああ、これか。朝起きたらこうなっていた」
「えっ。朝起きて性別が変わってても受け入れちゃう系なわけ?」
 このマイペースさは東雲で間違いない。髪はすっかり短くなっているが、スカーフとライダーファッションには変わりがなかった。
「第三者の異能の影響を受けているかもしれないな。御影が何か知っていればいいんだが……」
「あー、それはあり得る……か?」
 どんな異能だよ、と内心でツッコミつつも、神無は御影を呼び出そうとする。彼がスマートフォンを持ち歩いていることを願いつつ、電話をかけようとしたその時であった。

「誰かーっ!」
 絹を引き裂くような悲鳴が聞こえた。
 振り返ると、事務所がある路地裏の一角に、倒れている女性がいる。
「ひったくりよ!」
 女性の視線の先には、バッグを抱えて逃げる男がいた。
「ちっ」
 神無は舌打ちをしつつも、反射的に走り出した。
 だが彼の前に、東雲が躍り出る。
「早っ!」
 東雲は突風のごとき神速で逃走する男に追いつき、手にしていた刀で殴打する。
 その動きは一瞬で、男は自分が追いつかれたことすら気づかないまま気を喪い、倒れ伏した。
「安心しろ、峰打ちだ」
 東雲はそう言って、男の手から零れ落ちたバッグを拾い、よろよろと起きた女性に手渡す。女性は男前の東雲に目を輝かせつつ、何度も頭を下げて礼を告げた。
「被害者も無事なようだな。大事になる前で良かった」
 女性の礼に手を振って応じつつ、東雲は神無のもとまで戻る。一連の動きを見た神無は、開いた口が塞がらなかった。
「どうした、間抜けな顔をして」
「いや、凄くない? 動きがいつも以上にキレッキレだったし」
「確かに、以前より勢いがつくようになった。男になって筋肉量が増えたからかもしれないな」
「なるほどね。スピーディーでパワフルとなるともう、俺の出番がなくなるっていうか」
 神無は冗談っぽく苦笑する。

「いや――」
 東雲は短く否定したかと思うと、急にくずおれてしまった。
「えっ、大丈夫? やっぱり、誰かの何らかの異能の影響ってやつか……!」
 神無は東雲を支えつつ、辺りに気を配る。だが、怪しい気配は感じない。
 一方、東雲は大きな手で神無の腕を掴み、必死の形相でこう言った。
「すまない……。一つ、頼まれてくれないか?」
「なに? 遠慮なく言えって」
 相手が同性で同年代のためか、神無の軟派な部分が自然となりを潜める。東雲は表情を苦悶に歪めると、掠れた声で吐き出す。
「腹が減った……米を食わせてくれ……」
「なんて???」
 東雲の引き締まった腹部から、地響きのような音が聞こえる。それが腹鳴だと気づくのに、数秒の時間を要した。

「筋肉量が増えた分、消費カロリーが多くなったようだね」
 聞き慣れた声が耳に届く。振り返ると、事務所前には御影がたたずんでいた。
「御影君……! いつからそこに?」
「ジャンヌ――いや、剣を振るって悪しき存在を退治する勇猛な姿はジークフリートかな。とにかく、彼が現れた辺りから様子を窺っていてね」
「最初からじゃん! 出て来いって!」
 神無は目を剥く。それに対して、御影はにこやかに微笑んだままだった。
「神無君がどんな反応をするのか観察したくて」
「こいつ……。……まあいいや。東雲ちゃ……東雲君のために、米を炊いてよ」
 神無は、相棒に対して込み上げる怒りと呆れを抑え、友への気遣いを優先する。
「幸い、既に炊いているところでね。存分に召し上がってもらおうか」
「用意良すぎじゃない? さすがだね」
「君と僕とヤマト君のディナーの分だよ」
「…………俺らの分は、デパ地下でなんか買ってくるわ」
 今は東雲の腹を満たしてやることが優先だ。神無が東雲を支えながら歩き出そうとすると、「すまない……」と弱々しく東雲は謝罪した。
「別にいいって。お互い様だし」
「いや、それもあるが……」
「へ?」
 東雲は言いづらそうに目を伏せると、続けた。
「私は……一升でないと腹が満たされないんだ」
「いっしょう?」
 神無は御影の方を見やる。すると、御影はいささか遠い目で微笑んだ。
「一升だと十合ほどだね。残念ながら、今炊いているのは三合だけど」
「ってことは、俺らの三倍以上……?」
 神無の声が震える。
「すまないな……。食べ盛りで……」
 東雲は心底申し訳なさそうで、そんな顔をさせてしまうことに神無は心が痛む。だが、それでも言わなくてはいけないことがあった。
「いや、食べ盛りとかじゃねーから!」
 神無のツッコミは、摩天楼が聳える池袋の空に響き渡ったのであった。


「神無! おい、神無!」
 神無は揺さぶられて、ハッと目を覚ます。事務所の天井を背に、見慣れた顔が心配そうに覗き込んでいた。
「東雲く……いや、ちゃん!?」
 神無は東雲の腕をしっかりと掴み、彼女の長い髪と身体的特徴を眺める。間違いなく、いつもの東雲であった。
「おい……」
「ご、ごめん。なんか、東雲ちゃんが男になった夢を見てた……」
 神無は慌てて手を離すと、東雲から目をそらす。
「ふふっ。うなされていたと思ったら、そんなユニークな夢を見ていたのかい」
 御影もまた、神無の寝顔を観察していたらしく、そばで微笑ましげな顔をしていた。
「ユニークっていうか、男になった東雲ちゃんに、うちの米を一升食い尽くされそうになる夢なんだけど……」
「それは……恐ろしいね」
 御影は苦笑しながら、神無の胸の上に落ちていたスマートフォンを手に取る。どうやら、スマートフォンの重みで悪夢を見ていたらしい。

「私が男になる夢――か。興味深いな」
 東雲は、やはり冷静だった。神無は御影からスマートフォンを受け取りつつ、上体を起こす。
「東雲ちゃん的にはどうなの? 男になるっていうのは」
「私は戦いに身を投じているしな。この生き方だと、男性の方が楽かもしれん」
「確かに、比較的筋肉量が多いと言うしね。身体能力を必要とする戦闘なら、男性の方が有利かもしれない」
 御影もまた、うんうんと頷いた。
「でも、ひったくり犯を気絶させるのに米一升分の消費カロリーはヤバくない? まあ、夢の話だけどさ」
 神無は肩を竦めた。
「確かに、筋肉量が多いと運動能力も向上し、それに伴って消費カロリーが増える傾向にある。つまり、維持が難しくなるわけだね。今のジャンヌは、女性だからこそ良いバランスなのかもしれない」
「なるほど。いきなり男になると、バランスが崩れてしまうかもしれないな」
 御影の言葉に納得する東雲であったが、「だが」と続ける。
「最初から男だったら、また違うんだろうな。まあ、それはあり得ない話だが」
「君が男性として生まれた世界線か。それは興味深いね」
「今で既にイケメンなのに、ガチのイケメンになるじゃん」
 御影は興味を示し、神無は苦笑いを浮かべる。

 もし、そんな世界線が存在しているとしたら、自分はどんな顔で東雲と接しているのだろうか。
 彼女の性別が変わっても、本人はそれほど変わらないだろう。変わるとしたらきっと、自分達だ。
 同性として友情が芽生えるのか。それとも対抗心が生まれるのか。
「それにしても、米一升か……。そんなに食べられたら幸せだろうな……」
「それはもう、食欲の秋が過ぎるんじゃない……?」
 しみじみと呟く東雲に、神無は震える。
 東雲が男であったら、今以上に無尽蔵に米を平らげる東雲から自分の食事を死守しているかもしれない。神無はそうやって、異なる世界線に身震いをしたのであった。

あとがき

久々の咎人掌編でした。
5巻に東雲を登場させられなかったので、掌編に登場させてみました。
毎度のことながら、担当さん公認掌編となります。
非公開掌編も含めて、そのうち何らかの形でまとめられたらいいなぁと思う蒼月でした。

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蒼月海里
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