"一握りの天才"じゃなくても、漫画家になれた
最近、息子がやたらと夢を語るようになった。
あ、と言ってもまだ小2なので、
「警察官になりたい」
「YouTuberになりたい」
「弁護士になりたい」
など、なにかに影響を受けるごとにコロコロと変わる程度の夢語りである。
そして、わたしもその“影響”に加担してしまったようで、
「ぼく、漫画家になりたい」
と、言い出した。
そしてA4用紙に描いた自作のマンガを見せてくれたのだが、細部までこだわってキャラクターたちを描いておられて、こいつぁ、天才かもしれない…!!!と、親バカぶりを発揮してしまった。
「これはね、ゴジラで、こっちはエンダークリスタルszklgtujs…マンでね」
え?なんだって?
名前はもう少し覚えやすいもののほうがいいかもしれないねーと喉まで出かかったが、やめた。
息子は楽しそうに説明してくれた。ゴジラがエンダークリスタルszklgtujs…マンと闘う話らしい。
息子の創作秘話を聞いているうちに、22年前のことを思い出した。
*
「ママ、うち、漫画家になりたいっちゃんね」
小学5年生の私は、母の反応に期待を込めて言った。小さい頃は、セーラームーンになりたいと言えば変身ブローチや衣装を買ってくれ、SPEEDになりたいと言えばカラオケにたくさん連れて行ってくれた。
親はどんな夢も応援してくれる。そう信じていたのだ。
「なん言いようと?そんなん、一握りの天才にしかなれるわけないやろ」
な、なんだと…?
ショックを受ける暇もなく、たまたまイライラしてたんか知らんけど、めちゃくちゃけちょんけちょんに言われた。
その瞬間、抱いていたイメージが音を立てて崩れていった。セーラームーンに本気でなれると思っていたのに、変身ブローチを開いて「ムーン・プリズムパワー!メイクアップ!」と叫んだとて変身しないという現実を突きつけられた時のように。
「ああ、そっか」
小学生の私は、驚くほどあっさりと夢を諦めた。
5年生にもなればわかる。本物のセーラームーンにはなれないし、SPEEDにもなれないと。漫画家もそういう感じなんだ。
じゃあ、なんだったらなれるんだ。
それからは、特に夢がなかった。きっといつか夢が見つかるだろう。現実的な夢が。その時まで夢の話はやめておこうと決めた。
大学に行っても、自分がなにになりたいのかわからなかった。わたしが通っていたアメリカの大学は、専攻を決めなくてもいい専攻という世にも奇妙な専攻があったので、興味のある授業をとにかく片っ端から受けた。
カメラ、動画、アート、ビジネス、投資、起業、宗教、フラダンス…
なにをやっても頭によぎる。
「これも、一握りの人しか成功できないよな…」
そんで、気づいたらわたしは結婚していた。
夢が見つからないまま、まさかの大学卒業とともに結婚をしてしまったのだ。
結婚しても、子供ができても、「わたしはなにになりたいんだろう」というモヤモヤが常に心の奥底にあった。
そんな時だった。