読書録📚母親になって後悔してる
母親が、
母親になって後悔してる
ことを自覚し公言すること。
それは、社会にとって危険なこと。
社会の利己主義に反すること。
だから母親は、「良き母」の役割を内面化させ、後悔を隠す。「良き母」を演じ、後悔していたとしても、決してそれを口にすることはできない。
あゆみさんと読書会予定です。
2月28日(火)10時から(明明後日😅)
参加はこちら↓(会員登録、参加費無料)
著者は、母親になることを望まない女性であり社会学者。
そして本書は、母親になったことを後悔する23人の女性へインタビューを行った内容が綴られています。
気になったところ↓
性別による「親」の労働分担のはじまり
産業革命後の19世紀。
ナショナリスト、資本主義、異性愛規範、家父長制のイデオロギーが性別による分業を維持してきた。
なぜなら、システムの維持には母や主婦としての女性の無給労働が必要だから。
しかし、単に母になるだけでは不十分。
「良き母」であることも規定される。
「私は母であることを愛しています」という免責事項
「正しい」母性として社会的に確立されたイメージ。「良い」母親には、母である喜びと満足を感じることが期待される。
怒りや失望、欲求不満を感じる母には
「問題を抱えた女性」のレッテルを貼る、
母であることに気持ちが揺れ、少しでも「ネガティブ」な思いが表出してしまうと付け加えたくなる言葉。
「もちろん私は、わが子たちを何よりも愛しています」
世間の期待から自分を守るための免責事項。
「今は大変でも、人生を振り返ったら誇らしいはず」という母親への暗示
後悔する母親に寄せられた以下のコメント
このコメントの背景には、
現在の人生から悲惨な瞬間や記憶を消去して「ハードワークを続ける」ことで、社会は出産と育児が最終的に、女性に益をもたらすという幻想を維持している。
母親へのこれら"励まし"は脈々と受け継がれ、
「どう感じて行動すべきか」
まで母親は無意識のうちに刷り込まれている。
母に求められる感情とそれに応じた行動
「良き母」に忠実であろうとする母たちの証言
私は世話を焼いています。電話をしたり、心配したり、もちろん気にかけていますよ
娘が訪ねてくると、私はいつもこんなふうに喜びます「あなたがいなくて寂しかったわ。会えるのが待ちきれない」私は一種のショーを見せているだけで、本心とは違います。
家に来たら夕食は作りますし、誕生日の贈り物を届けますし、おばあちゃんがやることであれば、いくらかはこなします。でも、大きな必要性があるとは感じていません。
「お芝居」「ショー」「フリ」「らしい」
母親は、母に求められる感情とそれに応じた行動を実行してみせる必要性を感じ、それに従いふるまっている。
悪い母のレッテル
産後の仕事の再開が早すぎる→世話をしない
職場復帰が遅すぎる→自分を諦めている
母乳育児をしない、母乳育児が「長すぎ」、「大っぴらすぎ」→責められる
長時間労働→ネグレクトと非難される
未婚の母、公的支援に子育てを頼る母、職に就いていない母→強い批判を受けがち
母は、何をする・しないだけではなく、どんな人間で、どんな状況で生活しているか次第で、世間から「悪い」というレッテルを貼られる。
非難が母親のアンビバレンスな感情を強める
「母は誰よりも知っている」
と言われる一方、
面倒を見すぎる、距離を置きすぎる、過保護、冷淡、どんな状況も非難の対象になる。
これは子どもと共に過ごす時間が長いからで、そうではない場合であっても、「そばにいないこと」について、父親に比べ圧倒的に非難を受ける。
こういった全方位の非難は、母親から子への
愛と憎しみ、調和と葛藤、近づきたいけれど離れたいという欲求、アンビバレンスな感情と苦しみをもたらす。
感想
本書の「後悔」は、子育てを家庭に押し込めがちな国の母親であれば、分かる感覚なのではと思いました。
母親の無給労働に依存すること。
母親に対し「良き母」を求めること。
母親を神聖化し「喜びの幻想」を植え付けること
"幻想"は「イクメン」という言葉に通ずるものもあるような気がしました。
母親が無意識に「良き母」を追い求めさせられるのと同じように、「イクメン」という言葉にも、男性にイクメン像を追い求めさせる効果があるのかも。
かつて私はインスタで育児記録をつけていたのですが、自分の子育ての記録を綴ったものを公開するということは、自分のなかの「良き母」を強化することでもあったなと、振り返ってみて思います。
自分と子どもの良好な関係を世間に披露することは、褒められることはあれど非難されることはない。
だから「良き母」の世界観に浸っているのは、心地よい部分もあったりして。
良き母である限りは、誰からも非難されることはありませんからね。
自分のなかの「良き母でありたい」という「べき」を壊すには、むしろできない自分をさらけ出すようなものを表現していくといいのかもしれません。
裏を返せば、「良い父親像」を社会から押し付けられることのない父親は、育児アカウントを作って子煩悩な世界観に浸ると、母親側とバランスが取れてちょうどいいかもしれません🤔笑
いずれにせよ、これらは全部自己責任論に基づくもので、根底から母親に「後悔」をさせないためには、男性と女性が分断して押し付け合うのではなく、むしろ当事者だけに押し付けない、当事者を作らない、ということなのかもしれません。
無意識の母親への役割期待は、各人に(本人にも)自覚がないまま漂う空気のようなものなので、ただちに払拭するのは難しいとは思いますが…。
本書を、鶏婆(ジーポー、余計なおせっかい)なおばちゃんが溢れる台湾や、どこにいっても子どもがチヤホヤされるというマレーシアの国の母親が読んだらどんなふうに感じるんだろうと、とても気になりました。
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2月28日(火)10時から
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