読書録📚父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話
資本主義について易しく学べそう…と期待して読んでみました。
最近、物を「所有」ではなく「共有」にしていこうよ、という本によく出会うのですが、
本書も、資本主義は富の格差を生むし持続的じゃないから、機械労働の恩恵を全人類が享受できるようにしていこうよ。
という主張が共通しているように思いました。
交換価値ではなく、経験価値を大事にしていこうよ。というメッセージ性も
読了後は、資本主義と公平な分配って、両立するんだろうか…と考え込んでしまいました。
気になったところ↓
なぜアボリジニがイギリスを侵略しなかったのか?
かつてイギリス人はアボリジニの土地を略奪し、先住民を排除した。
どうして"逆"ではなかったのか?
→オーストラリアに"余剰"がなかったから
気候に恵まれないイギリスでは、生きるために大量の作物の余剰が必要だった。
この地理的な差が、侵略を生み出した。
「余剰」が経済を生み出し、軍隊を作る
すべては「余剰」から始まる。
耕さなければ生きていけない土地で農耕が発達し、リスクへの備えとして「余剰」が生まれた。
農民たちの「余剰」は共有倉庫に預けられ、それを記録するため「文字」が生まれた。
穀物の量を文字で記録した貝殻に交換価値が生まれ、「通貨」となった。
みんなが貝殻(通貨)を「信用」するために、支払いを保証してくれる元締めが必要だった。そこで「国家」が誕生した。
通貨に価値を持たせるため、「組織(官僚)」や所有権を守る「警察」が誕生した。
大勢の官僚や警官を養い維持するためには大量の余剰が必要だった。
そこで支配者は、
「支配者だけが国を支配者する権利を持っている」
と庶民に固く信じさせ(ここで宗教組織誕生)、一握りの権力者に大量の余剰が集中する仕組みが誕生した。
「余剰」が集中した国家では、様々な発明や軍隊、武器が生み出された。
余剰を保管している倉庫から様々な感染症が蔓延し、それに順応することで「生物兵器」が誕生した。
余剰から、軍隊やテクノロジーが発達し、生物兵器が誕生した。
オーストラリアでは、自然の食べ物に事欠くことがなかったため「余剰」が生まれなかった。
テクノロジーを発達させる必要もなく、発達したのは詩や音楽や神話など。
そんなオーストラリアの地に、余剰からついには航海技術を発達させたイギリスがたどり着いた。
そんなイギリス人に、アボリジニは敵うはずがなかった。
交換価値は経験価値より上、いつからそうなった?
世の中のすべてのものが交換価値で測れる。
すべてのものに値がつけられる。
ほんとうに?
献血が有償の国では、無償の国よりはるかに血液が集まりにくい。
オカネを支払うと善意の献血者は集まらない。
人助けのためなら海に飛び込めるが、
「お金を上げるから飛び込んで」と頼まれてもやらない。
これはどう説明できるのか。
経験価値を軽んじ、世の中のすべてを交換価値でしか測れなくなると、今度は自分のことすら市場価値で測るようになってしまう。
すべての人に恩恵をもたらす機械の使い方とは
テクノロジーによって生み出された利益は一部の人間に集まり、富の不均衡が起こっている。
結果、労働者の購買力が下がり経済がまわらなくなる。
どうすればいい?↓
企業が所有する機械の一部を、すべての人で共有し、その恩恵も共有する。
たとえば
機械が産み出す利益の一定割合を共通のファンドに入れて、すべての人に等しく分配する。
利益の一部が自動的に労働者の銀行口座に入るようになれば、人類全体が機械労働の恩恵を受けられる。
感想
利益を完全に分配してしまうと、テクノロジーって発展していくんだろうか?
研究開発費まで分配されてしまったら発展できないし、モチベーションも下がりそう。
だから、民主主義と資本主義は相反するのものと言われるのでしょうね。
仕事で頑張った分だけみんな平等に一定割合で恩恵を受けられるシステムは、いいかも。
みんなが低コストライフを送れて、少ないお金で自給自足できるようになったら、テクノロジーの発展は必要ないのかもしれない。
けど、低コストライフでその日暮らしの人たちしかいない国では軍隊を維持する余剰が生まれないし(かつてのオーストラリアみたいに容易く侵略されそう)、経済発展を諦めた国の通貨の信用って、他国から見てどうなんだろう?
結論はないんですけど、なんだかぐるぐる考えてしまいました。
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