「小さいおうち」中島京子著の世界
こんどは中島京子にはまりそうだ。おそらくは一番有名な2010年に直木賞をとった「小さいおうち」を文春文庫で読んだ。
山形から出てきた女中さんタキさんのお話という体裁になっている。その原稿を気心の通じていた妹の孫の健史君が最後を引き取っている。最終章で絵本作家の作品が話のまとまりを作る。「夢見る帝国図書館」の中のプロットとなんだか通じるものを感じた。
旦那様と時子奥様、そして恭一ぼっちゃんの小さなおうちの物語である。それも、話が展開していくのは昭和7年からだから、戦時色が徐々に日本を染めていく時期と思われる。庶民とは言っても中流の上のほのぼのとした暮らしは、アメリカに宣戦布告するまでは、どちらかというとのほほんとしており、戦争が激しくなってからは、きっと戦争に勝って豊かな社会が来るという建前としての思いを口にすることで本心と区別がなくなっていく、そんな生活が描かれている。
面白かったひとつのエピソードは「赤マント」と「青マント」の話(p.176)。切り刻まれて真っ赤になるか、血を抜かれて真っ青になるかという、怖い話。子どもにとってとても怖い話が、短い時間かもしれないが、サーっと広まるってことあるなと思った。
文庫になったのは2012年であるが、船曳由美との対談があって、そこで中島は「戦前について調べはじめたら、明治以降に取り入れた西洋文化が成熟した時代だとわかった」と語っている。中島は祖母から、そんな時代の話をもっと聞いておきたかったというのだが、船曳は、自分の母親が米寿を過ぎてから子どものころ話を詳しく聞き出せていた。「100年前の女の子」(2010年)がそれであり、なんとその本が文庫になったとき(2016年)その解説を26歳年下の中島が書いているのだった。自分の読後感(2016年9月)を開いてみたら「中島京子の解説も良かった」と記していたを覚えていなかったことがわかった。
建築基本法の話を議員会館で当時の小川勝也議員としていたときに、今こんな本を読んでいると紹介してくれたのが「100年前の女の子」だった。船曳氏の父親は徳富蘆花に心酔していて、千歳船橋に居を構えたのだという。千歳船橋の名もちらっと「小さなおうち」に登場する。家の制度も、男と女の立場、介護の現実、みんな違うけど、何を豊かさというかのテーマが、二人のライターを結び付けていると感じた。さらにいうと、今、その豊かさが見失われていないかということである。2014年の「かたづの」から知ったファンタジー作家の存在に驚いたのであるが、これでまた、中島京子の世界が広がった。同年代で逝ってしまった山本文緒に代わり、これからも楽しませてもらえそうだ。