「なぜイタリアの村は美しく元気なのか」(宗田好史著)に学ぶ
もう3年以上海外にでかけていないが、今、ゆっくり海外に行けるとしたらイタリアの田舎だと思っているが、夢のままである。また、法律のあり方や、まちづくりとか哲学に至るまで、いろいろな機会にイタリアから学ぶことが多そうだと言っているのだが、まちづくりのかなりの部分の実践的指南にもなっている。
著者はイタリアの大学で学び、すでに「南イタリアの集落」(1989年)、「にぎわいを呼ぶイタリアのまちづくり」(2000年)を経て2012年に書いたものがこれで、アグリツーリスモが前面に出てはいるものの、小さな村がなぜ美しく元気なのか、具体的にそれまでの経緯をたどりつつ、日本も遅れているけど十分その可能性をもつと書いてくれている。陣内秀信門下の1期生だという。
BS日本テレビで毎週土曜日の6時から、イタリアの小さい村が紹介される番組がある。手仕事の職人が社会から必要とされ、10年前と最近との家族の変化を紹介しつつも、村のレストランは賑わいを保ち、年寄が生き生きとしているのは、何かが背景にあると思っていたのだが、納得させる解説になっている。「第2次大戦を経て70年でようやく完成した」(p.6)と序文にあるのだが、それなら日本だってできないはずはないと思う。
第1部では、4つの章で基本となった動きが紹介される。まずは、農村と観光を一体化することで村を活気づけようとする「アグロツーリズモ運動」。シモーネ侯爵が1965年に13人の仲間とアグリツーリスト協会を発足させたのだという。それが、1985年にはアグリツーリズモ法として国に認められ、同時に景観法にあたる「ガラッソ法」も制定され、今では全国に2000に近い事業所があるという。観光面での規定として「地方自治体との協定で、地域の文化・歴史資源の理解を深めるための展示を備えていることも必要」(p.30)は日本の地方のまちがもっと力を入れてよいところだ。「観光客がほとんど来ない農山漁村の文化遺産を静かに訪れバカンスを過ごす空間の魅力」(p.38)はフランスの田園観光の話であるが、これからの観光の方向性を示している。
1986年にローマでは、反マクドナルドのデモが行われ、北イタリアの小さな町で「スローフード協会」が誕生したとある。有機農業は60年代から始まり品質保証制度ができている。日本は有機農業推進法が2006年というから、まだまだこれからだ。農や食に対する意識にイタリアの哲学を感じる。さらに1999年10月スローシティ協会が発足。人口5万以下のまちを対象としている。1951年から2009年にかけて、1万人以上10万人未満のコムーネの人口が1600万人から2800万人に増えているというのが、驚きである。(p.87)その裏には、職人産業と呼ぶ小規模事業所がネットワークを構成して生産性を上げているというから、これは井上ひさしの「ボローニャ紀行」の世界が今も現実になっているということだ。アグリツーリスモももちろんその一つということ。
77年のブカロッシ法によって新築よりも修理・修復が有利な状況が作られた(p.121)というし、85年のガラッソ法により農村の景観保護が進んだ(p.123)という。日本の景観法は2005年だから、そこだけ見ても20年遅れていることになる。スローな生き方に価値を見出す暮らしや生活を実践する人を、自治体が応援し、国も支援するという様子がよく示されている。
第2部では、イタリアの村が実際にどうなったかを、EUの農業政策、ゆったりとした農村観光、自立する村という視点で章ごとに報告されている。
土地所有制度も含めて、遅れたイタリアの農業と農村が逆にEUの後押しもあって環境保全型農業の展開ということになった。旅行社や高級ホテルのための観光施策でなく、歴史や文化の魅力を伝える環境政策としての展開だ。
最後の第7章は、村人の自立、地方の自立、女性の自立、地域の共同化の変遷を上げている。「豊かになったイタリアの農村住民は、生活の利便性を十分に確保した後に、都市的な空間と住まいでなく、農村らしい風景の中に再生された歴史的外観の農家建築を選択した。」(p.212)これが日本で可能になるであろうか。ビジョンを描き、革新を続けた人がいて、今のイタリア農村があるとの分析だ。
わが国でも、東京一極集中の弊害を何度も何度も口にしながら政治が動かないと不平を言うだけでなく、農村で漁村で、その食の豊かさと住の豊かさを作りだしていくための行動を、少しずつでも始めることだ。