公共善エコノミー(C. フェルバー著、池田憲昭訳)メモ
「持続可能社会と地域創生のための建築基本法制定」の読書会で、今津賀昭氏より強く推薦された本である。資本主義社会の行き過ぎをどのように変革するかについての明解な指針を与えてくれている。翻訳故にいくつかのすっきりしない言葉もあるが、2010年に書かれ、日本語版が2022年だということも、新しい社会への希望を語る。
まえがきで経済を語るアリストテレスの言葉として、「オイコノミア」は、すべての人間の良い生活を目標にし、お金はその際、手段であるのに対し、「クレマテイスティケ」は、経済の形態が、お金の獲得と増殖が自己目的になっていて反自然なものであると。(p.4)そして今や、本来のオイコノミアを意識した、公共善エコノミーの実践運動が世界に広がりつつあるという。
第1章短い分析で、現在の自由な市場経済が人間の幸福に結びついていないことを、分析的に扱っている。信頼は効率よりも大切で、誰にでも安心して信頼を寄せられる社会が、生活のクオリティがもっとも高い社会ではないか、と投げかける。(p.27)利益追求と競争の結果として資本主義がもたらした10の危機を挙げている。1.権力の集中と乱用、2.競争の排除とカルテルの形成、3.国の企業誘致による歪み(ロケーション競争)、4.非効率な価格形成、5.社会的な二極化と不安、6.生活の基本的要求の非充足と飢餓、7.エコロジカルな破壊、8.意義の損失、9.価値の崩壊、10.デモクラシーの閉め出し(p.37)
第2章は公共善エコノミーの核と題して、基本理念を述べている。ドイツ基本法では「所有権は、その利用が同時に公共の幸福に寄与することを義務付ける」とあり、イタリアの憲法にも「公的および私的な経済活動は、公共の福祉の照準に合わせて行われるべきである。」と謳われているという。(p.38)わが国では、戦後の憲法で財産権の保障が強調されているがゆえの所有権の集中と乱用への行き過ぎが目立っている。投資は、企業の黒字を目的としてなされているが、今後は、社会・環境の面で付加価値を生み出す投資のみがされるべき(p.62)と明言している。
第3章は、公共財としてのお金について。興味深いのが、預金者がすべての銀行営業コスト(3%)をまかない、(預金金利がマイナス3%)、その預金残高はインフレによっても減価するというビジネスモデル(p.103)が、システム全体としてメリットが大きいということ。マイナス金利は企業にとってのクレジット金利を基本的に0%にできる。お金からお金が生み出されなければならないという、アリストテレスとマルクスが指摘した基本的な問題を解消できる(p.106)という。ガンジーが指摘した現代社会の大罪の1番目「労働なき富」(p.108)の解消にも通じる。持続可能性ということから地域通貨についても意味を評価している。
第4章は「所有」である。所得格差の相対的制限、私有財産の先占権の制限、相続権の制限などを挙げている。多くの家族企業は今日、信条として、所有者への利益の配分をまったく行っていない。そのような家族企業は、会社利益の分配という意味で最高レベルのことを、すでに自発的に実践している。(p.122)公共善エコノミーでは、所有権を守るルールや法律だけでなく、別のものを守ることも重要になる。すべての人々の最低限の関与と分け前が徹底して保護されなければならない。(p.134)
第5章は、「モチベーション」である。幸福研究からも、高所得があるレベル以上からは人々をより幸せにしないことも言えると同時に、より内因的なモチベーションを得ていることが知られているという。より高い所得を動機とするのでなく、全体に貢献するという思い、公共善の最大化という条件のもとに会社や組織を設立するところに意義があると説く。(p.145)自分の感情、欲求、考えを知覚し、真剣に受け取ることを学ぶこと(p.150)の大切さを説いていることも興味深い。自分の利益を優先的に追及する代わりに、人間尊厳の下でお互いに出会い交流するということ。(p.151)信頼性と創造性を促進するような自分の身体との関係の構築を鼓舞する(p.158)教育の大切さにまで触れている。
第6章は「デモクラシー」、形式的にはデモクラシーの世界にいる。現実は、市民と市民代表者の距離が開いている。4年に一度の投票では、個別の政策に対する市民の声を反映させることはできない。「我々は主権者である」「主権者による憲」という見出しを見ると、イタリアン・セオリーで論じていた、constituting powerの意味をここでも考えさせる。「コンベント」の会議体を、デモクラシーの展開として位置づけている。「気候市民会議」も、新しいデモクラシーの展開の一つといえるのだろう。直接デモクラシーは世界中で前進しているという。(p.180)日本では、それが表面に見えてこないが、小さくとも確実な動きとして生まれているのではあろうが。
第7章は、事例紹介で、公共善エコノミーの実践としてのさまざまな例が示されているのは、これからの企業のあり方を示すものとしてすばらしい。1.スペインのバスク地方の協同組合Mondragon、2.ブラジルの企業サービス事業を展開するSEMCO、3.ベネズエラのマルチ協同組合Cecosesola、4.エジプトのビオ農業Sekem、5.58の生産国のフェアトレード、6.ルクセンブルグの有機認証食品卸のOIKOPOLIS、7.USA、ドイツ、オーストリアの地域支援型農業、8.地域の自己資本(ドイツ)、9.倫理銀行(ドイツ、オランダ、オーストリア、スイス、イタリア)、などなど
第8章では、実践の戦略が語られる。すでにパイオニア企業や団体が、公共善決算を自発的に作成し共同開発、協力体制をとっている。2020年までに800社になるという。コンサルタント、自治体サポータ、公共善専門家、公共善大使、学者、それぞれ名称は異なっても、公共善の組織がうまく育つことに関わるという意味では実践において、やれるところから始めるということを意味するように思う。企業、銀行、団体、自治体などがポジティブなフィードバックによって資本主義で起きたようなダイナミズムが展開されることを期待する。
脱成長であっても経済が回り、それぞれの立場で公共善に寄与することで充実感を持って仕事をし幸福感を持てる社会が、すぐそこまで来ている様に感じられる。現実に、資本を拡大し利潤の最大化をめざす、いくつもの世界企業が経済を制しているように見えるときに、育ってきているとはいえ、公共善エコノミー企業がどこまで常識として受け入れられるか気になるところである。
㈱唐丹小白浜まちづくりセンターは、復興まちづくりを社の理念としてうたい、収支としては毎年赤字を累積してきているが、都会と三陸漁業集落との交流という意味でのまちの活性化にわずかなりとも寄与していることが、公共善決算として社会的に意味あることと認められると考えてよいであろうか。尊厳、信頼、協力を意識的に確認しつつ、新しい市場経済の見通しに少しでもつながることを期待したい。