【物語】「私になんて」から自由になるために〜綺麗になることは着飾ることじゃなく、自分のために脱ぐことなのかもしれない
*この物語はフィクションです。
「私になんて……」
これがいつも口癖だった。褒められた時も、誘われた時も、好みの服をお店で見つけた時でさえ、私の思いの枕詞は、いつもこれだった。私になんてもったいない。私になんて本当は来て欲しくないのかもしれない。私になんて似合わない。心の中でさえ、本気でそう言っていた。傷つかないために。
そう。「私になんて」は、私の鎧だ。周りに対しても、自分に対しても、鎧を着て、身を守っていた。期待されない。期待しない。いいことばを本気にしない。自己卑下は、これ以上自分が傷つくことから守ってくれる。自己卑下の鎧を着て、予防線の盾を構えて、私は、私を守ってきた。その鎧と盾だって、着心地がいいわけじゃない。むしろ、重くて苦しい。もちろん、動きにくいに決まっている。だけど、その重さと苦しさよりも、ずっと、周りにある、私を傷つけるものの方が、ずっと、ずっと、怖かった。だって、それは、私自身を飲み込んで、消し去ってしまうものだから。
「ねえ、ごっこあそびしようよ!」
「……いいよ」
会社が休みの土曜日。友人との待ち合わせまで、もう少し時間がある。公園のベンチに座ってぼんやりしていると、砂場の方から子供たちの声が聞こえた。
「じゃあ、昨日の続きね」
「……うん」
一人の子が嬉々として誘う横で、もう一人の子は、返事がなんだか憂鬱そうだった。憂鬱っていう言葉を、あの子が知っているかはわからないけれど、あまりごっこ遊びをしたくはなさそうだ。
「ねえ、今日は、違う役にしてもいい?」
「えっ、だめだよ! 昨日の続きからだよ!」
また違う子が入ってきた。
「ね、〇〇ちゃん!」
最初に声をかけた子に、話を戻す。
「じゃあ、はじめよっ!」
子供たちは、おままごとを始めた。楽しそうな子と、楽しそうを演じている子。そんな様子を見ていると、自分の子供の頃を思い出してしまった。
「りっちゃんは、こっちの役の方がいいと思う」
幼稚園のごっこあそび。クラスで中心の女の子に差し出される役は、いつも私がやりたくない役だった。そして、みんなも誰もやりたくない、人気のないキャラクター。人気がなくっても、私が好きならいいのだけれど、そうじゃない。
私は、可愛い役をやらせてもらえない。ヒロインなんか望んでいない。主人公のおしゃれな友達の役でも、かっこいいお姉さんの役でもいい。女の子が憧れる女の子の役をやりたかった。それがダメならペットでもいい。かっこいい悪役でもいい。脇役でも、一言でも、自分の意思で話すことができる役なら、なんでもいい。でも私は、フィクションの中でも、面倒臭がられる役ばかりをあてがわれていた。お話の中で少し浮いていて、メインのお話を動かす言動をしない、他の人が目立つために後付けされた役ばかりだった。
なりたいものになるために、おままごとをするのではないのだろうか。
私はいつも、なりたくないものばかりを演じていた。強く嫌だということも、一人で好きなことするよということも言えなかった。幼稚園も、社会の中の組織だと、今なら名前をつけてしまう。人間。そこからはどうやっても逃れられない。
でも、あの子は、「違う役がいい」って言えたんだよなあ。偉いな、と思うのと同時に、自分がまた嫌になる。こんなに気持ちのよい休日の空の下で、ため息をついてしまった。
「凛子。り、ん、こ、っ!」
友人の瑠璃の声に、はっとする。
「あっ、ごめん」
「ほら、聞いてる?」
瑠璃は、わざと顔をしかめて見せた。整った鼻の付け根に皺がよる。瑠璃はそれさえも可愛い。むしろ、可愛い皺ができることが、美人の特権とも思える。
「はっ、ごめん! 今何時!」
とっさに腕時計を見たけれど、今日は休日。瑠璃と会うからつけていないんだった。
「大、丈、夫っ! 5分前だから」
瑠璃がスマホの画面を私に向ける。
「待ち合わせ場所に着いて、ぐるっと見たら、凛子が見えたから」
スマホをカバンにしまいながら瑠璃が笑う。彼女の笑顔は気持ちがいい。
「今日、時間とってくれてありがとうね」
「いいえ〜。って、私が会いたかったんだから!」
瑠璃は友達が多い。知り合いも多い。明るくて、みんなに好かれている。とても社交的でいて、一人ひとりに、ちゃんと優しい。私は、瑠璃がとても好きだ。そして、憧れだ。瑠璃のように振る舞えたら、どんなに素敵だろうと思うけれど、私なんかが同じように振舞ったら、うざいだけか。私なんかと仲良くしてくれることが、ありがたい。
「じゃ、行こっか」
今日は、瑠璃が気になると教えてくれたカフェに行く約束だった。
「ねえねえ、なに考え事してたの?」
歩きながら、瑠璃が聞く。
「えっ、ぼうっとしてただけだよ」
「ならいいけど、なんか、辛そうだったよ」
こんな時、素直に、気をとられてしまった理由を言えば、きっと瑠璃はほっとしてくれるだろうに、私はそれを、言えない。いつまで、こんなに信頼できる友人に、心を開くことができずにいるのだろう。心配かけないために、言ってしまう、という心遣いもあるだろうに、私は、まだ、その勇気が持てない。
「そんな顔してた?」
「大丈夫なら、それでいい。でも、何かあったら、私でよかったら言ってね。」
瑠璃は、決めるけることも、押し付けることもない、明るい口調でそういうと、
「いつでも味方」
と、腕を曲げて力こぶのポーズをとった。
「ありがとう」
私は、まだ、笑ってお礼を言うことしかできなかった。
5分くらい歩いたところで、すぐにカフェについた。おしゃれなお客さんが多い。インテリアもメニュー表のデザインも、ナチュラルなのだけれど洗練された印象だった。
「うわっ、美味しそう。凛子、どうする?」
「うわあ、どれも美味しそう。迷っちゃうねえ。」
二人で顔を見合わす。瑠璃はアイスコーヒーと苺タルトを、私はアイスティーと苺のパンナコッタを頼んだ。
「ねえねえ、凛子。ちょっと見て欲しいものがあるんだけど……」
二人ともお互いのケーキを食べ終える頃、瑠璃が、めずらしく少し恥ずかしそうに言いかけて、瑠璃がカバンの中から携帯を出す。
「実は、高校生の時からずっと写真撮ってるんだけどね、なかなか人に見せるのは恥ずかしくて」
画面の中には、瑠璃には風景がこうやって見えているんだ、と胸が高鳴るような写真がたくさん詰まっていた。
「でもね、せっかく撮っているから、趣味、ではあるんだけど、でも、一生懸命撮っているつもりだから、なんだか、凛子に見て欲しくなって」
一度、ぎゅっと口を結んでから、瑠璃が言った。
「それでね、凛子。お願いがあるんだけど……」
「お願い? 私にできることなら、なんでも!」
瑠璃にお願いをされるなんて、とても嬉しい。
「やった! ねえ、モデルになって欲しい! 本当は、人を撮ってみたかったんだ。第一号が凛子になってくれたら本当に嬉しいし、練習に付き合って欲しい!」
「なんでも!」の言葉に、瑠璃は前のめりで話し出した。
「ね、いいでしょ。凛子のこと、撮りたい!」
瑠璃が一気に話している間、私は目を丸くして固まっていた。頭の中は、どうしようが大量に浮遊していた。どうしよう、どうしよう、どうしよう。私になんて、務まるわけが……。あっ、でも、楽しそうだけど、凛子に撮ってもらうのも嬉しいけど、周りの人にも見られるんだもんなあ。私なんかがポーズしたり、楽しそうに撮られててもなあ。それに、私で役に立つのだろうか。
もう、私になんてが、溢れてくる。ああ、どうしよう、どうしよう、どうしよう。でも、心の隅っこに、いいよ、って言いたい気持ちが、ふつふつとしていた。
「そんな不安そうな顔、しないで。出かけた時、いつも一緒に撮ってるじゃん」
「だって、瑠璃の頼みなら喜んで聞きたいけど、写真のモデルでしょ? 私になんて、務まるかなあ」
「モデルって言っても、こっちの方こそ、ど素人なんだから。緊張しないで、一緒に遊びに行く、くらいの感じで、引き受けて。ね、お願い」
瑠璃が、顔の前で手を合わせる。誘いを引き受けたら、瑠璃が写真を撮っている姿も見れるのかあ。不安に思っているにもかかわらず、そんな、のほほんとした気持ちが、沸き起こってくる。もともとふつふつと湧いていた、いいよ、という気持ちと合わさって、
「うん、私でよかったら」
と、答えてしまった。
「わあ、ありがとう、凛子。お昼ご飯は私からのお礼で! 来週の9時に、さっきの公園ね!」
結局私は、瑠璃の言われるままに、引き受けてしまった。相手も、役も。瑠璃との関係と瑠璃の性格から、どう冷静に考えても、言葉の通り受け取ればいいとわかっているのに、うだうだしている自分に嫌気がさす。
幼稚園の頃のように、都合よく差し出された役とは、全然違う。私は、きらきらした役を、好きな人から、「似合うよ」と差し出されても、うだうだしてしまうんだ。
どうしようどうしようとすぎる一週間は、早かった。あっという間に当日になった。
「今日は本当にありがとう。もはや強引に連れて来たようなもんなんだけど」
瑠璃はいたずらっぽく肩をすくめながら、笑った。
「今日は、よろしくね。それから、楽しく撮れたらいいなと思って。いつものかわいい凛子を撮りたいから、おしゃべりしながら撮ろう」
いつものかわいい凛子。その言葉が、心にしゅわっと広がった。拒みたくない。このまま、受け止めたい。そんな気持ちになる。
そんな気持ちになっていると、私の大好きな瑠璃は、すっと言葉を出してくれた。
「いいか、凛子、よーく聞け」
なんだかドラマの渋い役を演じるように瑠璃が腕を組んでポーズをとった。
「えっ、瑠璃、どうしたの」
私が微笑むと、瑠璃はポーズを崩して、瑠璃の口調になる。
「なんだか、凛子ってばいつも、私と仲良くしてもらってる、っていうけど、それはこちらこそだし、お互い様、だったらいいって、いつも思ってるんだからね」
改めて、私の言葉を否定してもらって、申し訳のない気持ちになる。
「私は人付き合い多そうに見えるかもしれないけれど、凛子と私の関係は、唯一無二なことに変わりはないし、それに、私だって、誰にでも同じように、自分の大切なものを見せたり、打ち明けたりできるわけじゃない」
もう一度、私に向き直って、瑠璃が笑顔になる。
「凛子だから、安心して見せられた。どきどきはしたけど、見せたいって、思った。初めてなんだからね、人に見せたの」
ちゃんと言葉にしてくれる瑠璃が好きだ。まっすぐ伝えてくれる瑠璃が、好きだ。いつも、そう、思っている。
「瑠璃、ありがとう。嬉しい」
瑠璃がシャターを切っていく。瑠璃は笑顔で見つめて、シャッターを切るたびに、直接私を覗いて、褒めてくれる。にっ、と笑ってくれる。あんなにも恥ずかしかったのに、シャッター音が鳴るたびに、私の緊張と不安はほぐれて言った。
「ほら見て」
途中で、瑠璃がカメラの画面を見せてくれる。そこには、こんなにのびのびと笑っている自分がいた。
「ほら、やっぱり。凛子、かわいいし、きれい!」
写真の中で、しかも一人で映る写真で、私は、こんなに伸びやかになれるんだ。
「さ、続き続きっ」
大好きな瑠璃が、カメラ越しに私を見て、シャッターを切る。私は、レンズの奥に見える瑠璃の眼差しがくすぐったくて、シャッター音が心地よくて、心の底から、笑っていた。ひらひらと体を動かして、したこともないポーズで写真を撮る。いつか雑誌で見たモデルさんの立ち方。いつかドラマで見た女優さんの座り方。素敵だと思った目線。背中を丸めていると思っていた私も、本当は、知っていたんだ。背筋を伸ばした姿勢や目線を。胸を開いて軽やかに笑うことを。
「いい、いい! 楽しいね!」
瑠璃も楽しそうに、カメラと私を交互に見ながら、シャッターを切っていく。
シャッター音が鳴るたびに、私の不安や縛り付けていた「私になんて」が外れていく。盾を捨て、ずっと私を締めつけていた鎧が、解けていく気がした。いつもの服、いつものメイク、いつもの私なのに、鎧が緩んだ私は、なんだか、ちょっと、可愛く思えた。
何をしても自信がなくて、自分を肯定できなかったのに、今、信頼できる瑠璃に写真を撮ってもらったら、なんだか、自分がちょっと、好きになれた気がした。信頼できる瑠璃の言葉を信じたら、「私になんて」の鎧が外れて、そこには、ちゃんと私がいた。誰から押し付けられた役を演じる私でも、鎧で固めた私でもない、私自身がそこにいた。そこにいる私自身は、お気に入りの服を着て、今日のために買ってしまったイヤリングをつけて、笑っていた。自分を縛っていた鎧を脱いだら、今まで弾まなかった気持ちが、動き出した。
「瑠璃、あの花壇でも撮って!」
「OK! あっ、でもここでもう一枚」
凛子がシャッターを押す。私はきっと、この音をきっと、忘れない。
おわり
文、イラスト:青縞夢芽
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