先生に求められる「通常をつくる力」
おはようございます。
Teacher`sCAMP`にて腰ベルトを無くして打ちひしがれているヒミツキチ森学園のあおです。
#どこかにきっとある
さて、今日はグループリーダーとして「通常をつくる力」と題してお届けします。
日曜日はヒミツキチのこと。
とあるスクールの見学にて
今日は平然と推し進めるということを深掘りしていきたい。
以前見学に行かせてもらったあるスクールでは、先生と子どもが言い合っていた。
「ねぇ、掃除しないって聞いたんだけど、それってどうなの?」
「今泣いてる場合じゃないんだってば」
先生から放たれる言葉に多少の強さや棘を感じながらも、そのスクールの子どもたちは、先生からの鋭い指摘で得ているものも多かったように思えた。
ボクならそうは言わないな…は正直な感想。
でもその先生の言葉が悪いわけじゃない。学校、学園、スクールには、それぞれの信念というものがある。ボクがジャッジすることでもないし、良い悪いでもないんだ。
では、ボクならどうするだろうか。
やっぱり、
「それってどうなの?」
は子どもたちから出てほしいなぁと思う。
ヒミツキチの子たちも、とってもとっても優しいのだけれど、誰かと共に全体が逸れていってしまったことにストップをかけられる子や、「それってどうなの?」と切り込む子が4〜6年生の中に、まだ出てきてはいない。
見学に行ったスクールでは、6年生が全校に向かって
「掃除の時間だからやることはっきりしてるじゃん、良い加減ふざけて時間無駄に使うのやめませんか?」
と問い返していた。
そのスクールの文化だし、先ほどの先生の在り方はこういうところに生きているのだと思う。
全てに寄り添うに感じる違和感
最近考えるのが「優しさとは何か」ということ。
例えば、子どもたちがいつもと違って疲れていたり、ある子が感情で揺さぶられている時、皆さんならどうするだろうか?
ボクは割と平然と進めることを選択することが多い。
ボクらのようなスクールだと、一人ひとりに寄り添える人数だから、「どの子にも合わせた教育」をイメージして見学に来られる方も非常に多い。
でも、そんな時もいつも通り平然と進める。
もうちょっと聞いてほしい、構ってほしいということを見せる子もいる。
そんな子からしたら、ボクはドライな人にうつるかもしれない。
でも寄り添うということは、「寄り添われる」という関係性を生んでしまう。
「どうしたの?」はボクじゃなくて、友達が気づいてほしい。
そうなると、そうやって平常と違う時にも、いつもと変わらず進んでいく日常を作り出せる力というのは、ある意味グループリーダーに必要な能力なのではないだろうか。
異常時であっても、先生が平常に構えていると、ふっとその子が戻って来れる隙間が生まれる。
その隙間をつくることのほうが、救われる子、自分で戻って来れる力がついていくんじゃないだろうか。
先生に必要な通常をつくる力
つまり、「通常をつくる力」というのは、先生に求められる力なんじゃないかなぁと。
ボクが感じる
「あぁこの先生授業上手だなぁ」
という人は、研究授業の際などでも、子どもたちがいつも通り過ごせるような、しかけを持っている人。
いろんなスクールを見学に行った際にも、この「通常をつくる力」を上手に活用している先生っている。
#いつもついそんな先生には声かけちゃう
時には、スッと進めたり、
時には、笑い話から授業に戻したり、
時には、子どもの願いを聞きながら、受け止めて次に繋げていったり、
子どもたちの空気に乗っかることもできるし、通常をつくりそれとは違う流れを作ることもできる…
そんな柔軟性と固さとのバランスを取れる先生でありたいと思った。
今日もお読みいただきありがとうございました。
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