ロキソニンたるや。
ロキソニンの湿布はいつもあんまりにもスゥスゥして薄荷っぽいもんだから小さく切って使う。半分とか、四分の一とか。
でも今日は大盤振る舞いしてしまって、半分に切ったヤツを二枚とも右腕に貼ってしまった。結局一枚丸々右腕の肘から先にいる。ほぼ全面積隠れてそうなくらいスゥスゥしているけどほんとはけっこう地肌。
でも剥がして張り直したりなんかしない。なんかとりあえず痛々しくしておきたい。そうしないと浮かばれない部分の私が居る。
わたしは小さい頃から大豆ほどの痛みを大福くらい痛いと騒ぐのが得意だった。
社会人になるともうこれはひたすらにさみしいやつだ。
一時間仕事の休みを貰って病院に行った。
レントゲンもエコーも撮って、四八〇〇円くらい。 後輩が整形外科に行って間接に水が溜まっていた、なんて聞いたら自分もずっと痛かった関節がもっと痛い気がして病院に行ってみた。
行くまでに母にラインして電話して、行く背中を押す言葉を無理矢理引き出した。
物を返して貰う予定だった友達には連絡をし忘れて、「あれ、もう帰っちゃった?」というラインで思い出した。整形外科に行くまでは覚えていたのに、ついたらラインをしようとか思ってた。すっかり忘れて自己嫌悪に陥る。なにが嫌って、「ほんのり気になるような気がしなくもないけど女性を歩いているところを見かけてしまった友達」で、そんな様子を見ちゃったからないがしろにしてしまったのではないかと自分を疑っているのだ。そんな嫌な女になりたくなかった。
それはともかく(それはともかく、と言えるのも嫌なオンナの第一歩かも知れない、足をそっとそろそろと引く)、小学生の私はちょっとあたまがふわふわしただけで保健室に行き体温を計りすぐに家に帰ろうとしていた。大抵微熱で、母が呼ばれて家に帰った。母にすぐに会えるのがうれしくて、いつも以上に甘えられるのがうれしくて一ミクロンも我慢と言うことをしていなかった。ラッキーとさえ思っていた。ほんとに具合が悪いときはしっかりぐったりしていたけれど。
大きくなって、というか社会人になっても少しも我慢という物を覚えていない。いつもの肩こりと頭痛、それから胃痛は薬をのんでやり過ごすことを覚えたけれど、それ以外の異変はすぐにぐずりたくなるような気持ちになって持ち場からの逃走をはかってしまう。(でもよく考えると肩こり頭痛胃痛ってけっこう役満。)
結局病院で一時間近くかかって銀行郵便局買い物も行って、いつもより遅い時間に帰ってきた。お金も飛ぶわとぶわ。昨日食べたカンジャンケジャンより高い診察料を取られたことにちょっとショック。そりゃレントゲンとエコーもとればそれくらいになるだろうけど、ほんとにそんなに痛かったのか、自分に問いただしたくなる。でもとりあえず、湿布を貼った腕は良く動いた。この文章がなによりの証拠。
しかしこれは何に対する後ろめたさなんだろうね。
時間か、我が家の家計か。プライドか、友達か、母か。
なんかもう、大豆を大福なくらい言う性格はなおんないと思う。いっそ後ろめたくなく、無邪気にちょっとの痛みにはしゃぎたい。
あと、人との約束は忘れないようにしよう。
今日の病院の後味の悪さはどっちかていうとそっちに起因してらぁ。