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ぐひんの山 第三章 甕②

 陽菜は食い入るように甕を見つめた。高さはだいたい四十五センチから五十センチ。口径は三十六センチくらい。胴径は四十センチほどだろうと見積もった。中には何が入っているんだろう、と陽菜の好奇心がくすぐられる。それに、民俗学研究部員としても、何か歴史あるものだったらと思うとなおのこと調べてみたいという気持ちになる。

「重たかった?」

 陽菜の言葉に直也が答える。

「いや、見た目より軽かった。十キロの米袋くらいかな」

 聡も直也の意見に頷く。

「そうだね、そのくらいの重さだった」

「わたしでも持てるかな」

 真弓が汚いものを見るように甕を眺めて、「本当に持つの?」と眉を寄せた。

 陽菜は両腕で抱えるようにして、土だらけの甕を持ち上げた。

「あ、思ったより軽い」

 ゴトンと甕を地面に置いたあと、陽菜が三人に視線を移し、いたずらっ子のように笑う。

 唐突に直也が口を開いた。

「この蓋開けてみないか?」

 それを聞いた陽菜達は、怖じ気づいたように顔をしかめた。

 待ちきれなくなって意見も聞かず、直也が取り憑かれたように木の蓋の縁に貼られた紙を、爪が黒くなるのも構わず破った。湿って腐った紙は簡単に剥がれ落ち、直也が蓋の取っ手を持って力を込めて引っ張った。それほど固く甕の口を塞いでなかったのか、あっけなく蓋は開いた。甕の口から大量の百足が這い出してきて、直也が甕から手を離した。

 途端に、いきなり漂ってきたなまぐさい臭いを嗅いで、四人は思わずむせた。

「くっさ、なんだこれ、すげぇくせぇ!」

 直也が咳をしながら毒づいた。

 鉄さびの生臭いが辺りに漂う。その臭いは明らかに甕の中から臭ってくる。陽菜は太陽光が差し込む甕の中に何かがあることに気付いた。

 百足に怯むことなく手を突っ込んで指に当たったものを引き出した。

 引き出されたものを見た陽菜以外の三人が、「ひっ」と息を飲んだ。

 どう見ても動物の頭蓋骨だった。人間の頭より大きなそれには、無数の鋭い牙が並んでいる。下顎骨は取れて無くなっていた。腐ってどのくらい経ったものなのかわからないほど干からびている。所々、皮がそのまま残っていた。

「何、それ」

 真弓が震えながら指差してくる。

「何かの動物の骨、なのかな……?」

 陽菜は骨をぐるりと回転させて呟いた。

「他にも何か入ってるよ」

 怖じけることなく、頭蓋骨を地面に置いたあと、底をさらって取り出した。どう見ても先に取り出した動物の骨よりも小さく、骨格が猿っぽい。骨はバラバラに甕の中に収まっていた。

「これ、持って帰りたいなぁ……。調べ甲斐がありそう」

 陽菜が呟くと、三人は真っ青になり、口々に反対した。

「やめとけ。頭のおかしい奴がしたことかもしれないじゃないか」

「そうよ、陽菜。こんな怖いもの持って帰ったらダメ」

「絶対病気になる」

 三人の怖じ気づいた態度を見て、陽菜も少し不安になる。

「じゃあ、どうするの?」

「元に戻そう。埋め直すしかないよな」

 直也のひと声で甕を元に戻すことになった。土を念入りにかぶせて、全部なかったことにした。

「もう山を下りようぜ」

「そうだね、なんか疲れた」

 真弓と直也がぼやいてる横で、陽菜は聡に話しかける。

「あれ、なんだったと思う?」

「漬物とか浸けてる感じじゃなかったよな。少なくともぬか漬けの甕じゃないのは確か」

 そう言いつつも、声がわずかに震えていた。

 陽菜はあの甕が何か呪術めいたものに思えた。もしくは何かを封じたもの。でなければ、どうして呪符のようなものを蓋に貼り付けていたのだろう。

 結局、本当の目的は果たせず、陽菜以外の幼馴染みは後味悪い様子で山を下りることになった。

 陽菜は後ろ髪引かれる思いで、背後を振り返る。なくなってしまった祠と何か関係があるのだろうか。今は幼馴染み達に合わせて帰途についているけれど、明日、もう一度、一人でここに来て甕を調べてみようと決めた。昔、一人で山に入ってはいけないと、耳にたこが出来るほど言い聞かされたけれど、あれは子供一人で山に入る危険性を暗に含んだ言葉だと思っている。確かに平良須山は急斜面が多い。一人で山に入って足を滑らせたらひとたまりもないだろう。だから、互助できるように二人以上で入るようになったのだ。一人で山に入ってはならない……、今はそれもよくある禁忌の一つとしか思っていなかった。


 坂道を下りきったところで、陽菜はみんなと別れた。

 すっかり辺りは暮れなずんでいるが、まだ夕方にはほど遠い。日光が平良須山に遮られて山裾は暗く沈み、空だけがまだ明るく見える。

 門扉を開けて庭越しに縁側を覗くと、父親が換気と掃除のために外したふすまを元に戻していた。

「ただいま」

「おぅ」

 父親の反応を見てから、陽菜は玄関から家に上がる。靴をそろえながら、違和感を覚えた。

 弥生の靴がない。縁側に靴を置いているのだろうか、と縁側を覗いてみたが弥生はいなかった。いつもならば、真っ先に出迎えてくれるはずなのに。

「お父さん、弥生は?」

 父親がふすまを嵌める手を止める。

「庭で遊んでなかったか?」

「いなかったけど……」

「おかしいな、さっきまで庭の辺りにいたと思ったんだがなぁ」

 嫌な予感が頭をよぎる。陽菜は玄関に回り、靴を履いて門扉の外に出ると、左右の道を見渡した。桐野家の家に来る道は一本しかない。左の道を行けば饗庭村の中心部に、右の道を行けば畑と平良須山に続いている。山に入ったのだろうか、と坂道を登っていく。が、畑にも林道にも姿はなかった。もしかしたら村中を散策しているかもしれないと思い、小走りで村の中心部へ向かった。

 雲で空が覆われて、夕立前の水っぽさのある匂いがしてきた。雨が降る前に弥生を見つけたかった。

 あぜ道を抜けて、饗庭村唯一の県道に出た。通り過ぎた田んぼにも弥生の姿はなかった。村民の家を覗いて回り、出くわした村民に「七歳くらいの女の子を見なかったか」と訊ねて回ったが、収穫はなかった。

 暑さも相まって、背中に汗をかく。額には脂汗がにじむ。心臓の鼓動が不安によって激しくなる。

 まさかと、振り返って平良須山を見上げた。大きな鉄塔が山から突き出ている。陽菜たちが鉄塔の空き地にいる間に、山を登って行ってしまったのか。

 そのときやっと陽菜は思い出した。

「弥生に一人で山に登ったらいけないって言ってなかった……。わたし、うっかりしてた……」

 後悔に心が蝕まれ、何度も悔やんで陽菜は自分を責めた。あれだけ、祖母が陽菜に絶対に子供が一人で山に入るなと言ってくれたことか。だから、陽菜は不思議な声に連れていかれずに済んだのに、弥生はそんなことすら知らずに山に入ったのだから、何が起こってもおかしくない。

 一旦、実家に戻り、父親に声を掛ける。

「弥生、村にもいないみたい。山に行ってたらどうしよう」

 焦りが声音にも出てしまう。込み上げてくる不安を落ち着かせながら、警察を呼ぶべきか、と父親に相談した。

 父親は少し思案したあと、

「そうだな。もう四時になるし、もし山に入ったなら今すぐに捜索願出すほうがいい。陽菜、母さんと警察に電話してくれ。俺はみんなに聞いてみる」

 父親はそう言って村へ出掛けていった。

 言われたとおり、陽菜はまず母親に電話をした。

「お母さん、弥生がいなくなった。みんなにお父さんが聞いて回ってる。これから警察にも電話する」

『弥生が!? 今すぐ、そっちに行くから』

 電話越しに慌てているのが、声音で分かった。

「わたしも今から行ってくる」

『そうして! どうしよう……、どうしよう……』

 母親はかなりうろたえていて、ショックを受けているようだった。

「大丈夫だから、きっと弥生は見つかるよ」

『そうね……。見つかる、きっと……』

 電話切ったあと、すぐに警察に妹がいなくなった旨を知らせた。すぐに饗庭村に向かうと警察に言われ陽菜は通話を終えた。

 急いで靴を履いて、小走りに隣の民家に向かう。

 玄関を開け放っていたので、陽菜は玄関口から呼ばわった。

「すみませーん」

 ワンテンポ遅れて、夕飯の準備をしていたのかエプロン姿のおばさんが出てきた。

「あら、陽菜ちゃん、どうしたの。さっきも健夫さんが来たけど……、本当に弥生ちゃんがいなくなったん?」

「父も聞いて回ると言ってたんですけど、わたしも心配になって……」

「そりゃ、急に子供ばおらんくなったら、ねぇ。警察にも電話した?」

 おばさんが白いエプロンで濡れた手を拭いながら訊ねてきた。

「さっき電話しました。それで、三時過ぎに弥生を見ました?」

 おばさんは首をかしげる。

「見とらんねぇ」

 隣家に弥生はお邪魔してないようだった。

 礼を言ったあと、他の家々を巡り、弥生のことを聞いて回ったが、みんな一様に「知らない、見ていない」と答えた。

 十年前、あることがきっかけに母親が村八分にされたことは覚えている。子供だった陽菜が話しかけても、まるでいないかのように振る舞われたことに、どうしようもない怒りと哀しみを味わった。今もまだそれは健在なのだろうかと危惧したが、素っ気ない態度をされただけで済んだ。けれど、耐えられなくなって村のコミュニティから逃げた桐野家を、村民がどう思っているかまではわからない。

 県道に沿いにある聡の家が何やら騒がしく、どうも他の村民も集まっているようだ。

 近づくにつれ、父親と聡の祖父が言い合っているのだとわかった。

「きさんが平良須山に首つり鉄塔ば立てたせいで、うちの嫁がおらんくなったんや!」

「あそこはぐひん様の山や。あんたも一人で入ったらいかんち、知っとったろうもん! あんたらに親父がそうゆうとったの知っとるぞ。鉄塔のせいやなか」

「そりゃ、入ったらいかんちゆう山に入ったけ、おらんようになっちゆうんか! こっちのせいにするんか!?」

「おう、そうや! だいたい、あの山はうちの山やぞ。勝手に入るほうが悪い! それにうちも娘がおらんようになったんやぞ。まさか、きさんとこの嫁が連れていったんちゃうんか!」

「はぁ?」

 高倉家の玄関先で聡の祖父と陽菜の父親が、つばを飛ばす勢いで言い合っているのを、村民が見守っている。誰も双方を止める気はないらしい。村民の中にはニヤニヤしている老人もいる。

 陽菜は入るに入れず、うろたえて二人を見ているしかなかった。話が聞けそうな村民を探すが、皆、高みの見物を決め込んで面白いものを見るかのような様子だ。

 どうにか聡を見つけて、側に寄った。

「聡くん、一体何があったの?」

 聡が陽菜のほうに顔を向けると、意気消沈した様子で教えてくれた。

「母さんが帰ってこないんだ。平良須山に行く約束してたって、隣のおばさんに言われたんだけど、おばさんは具合が悪くなったから、母さん一人で山に行ったみたいなんだ」

「え?」

 一人で平良須山に入ったのか……? と陽菜は驚いた。平良須山に一人で入ったら神隠しに遭うとか山神様に食べられるという話は村中が知っていることだ。確かにいまどき一人で入るなという言い伝えを、いまだに本気で信じている村民もいないだろう。ただ、一人で入るのが漠然と不安に感じるだけだ。他の山には、そんなジンクスなどないからこそ、反対に真実味が薄れる。幼い頃に怖い思いをした癖に陽菜自身も例に漏れない。


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