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第三章 祟り石 第6話

「でも、気をつけたほうがいいね。君は綿子ちゃんを救いたがっているけど、怨霊は救うことでは鎮まらないからね」

 白から念を押されて、山田は少しむっとした。

 救おうとして何が悪いのだ。綿子は苦しんでいる。何らかの理由で怨霊になってしまうようなことが綿子の身に起こったのだ。怨霊となった綿子の為に、山田はこの道を選んだ。怨霊を鎮める為には、何をすればいいのか、もうこの方法しかないと思っている。だからこそ、御霊信仰について学んでいるのだ。

「姉が天国に行けるなら何でもしますよ、ぼくは」

 と言った瞬間、窓がバーンと音を立てた。

 二人は驚いて窓を見やる。窓ガラスがビリビリと音を立てていた。

「鳥がぶつかったのかな」

 白が呟いて、山田に視線を移した。

 山田は声が出せずに固まっていた。窓ガラスに両手をついて、セーラー服姿の綿子が立っている。鋭い爪がガラスを軋ませながら食い込んでいくのが分かる。長い黒髪が蛇のようにとぐろを巻き、ざわざわと揺れていた。

 山田の頭から、血の気が引いていく。すーっと血の温かみが首から下に落ちていった。カクンと膝から折れた。白の呼ぶ声が聞こえた。

「山田君、山田君」

 何度も肩を揺さぶられて、山田は目を開けた。この瞬間まで、自分が気を失っていたのだと気付いた。

「あ、あ」

 狼狽して窓を見たが、暮れなずむ茜色が差し込んでいるだけだった。

「どうしたの」

 どのくらい気を失っていたかわからず、山田はぼうっとしていた。

 綿子が山田を見ていた。頭が潰れて、眼窩は押し潰されて、眼球が垂れ下がっている。脳髄と血潮が、止めどなく割れた頭蓋骨から垂れ落ちていく。口を大きく開けて、叫んでいるように見えた。それとも笑っていたのだろうか。表情も分からない綿子は山田を言葉では言い表せない感情で見つめていた。

 それを見ていたら、貧血を起こして気を失ったようだった。

「あ、いえ。大丈夫です」

 山田は白の手を払って、体を起こした。後頭部と首が痛い。頭をしたたかに打ち付けていた。首が心配だが、毎度のことなので諦めることにする。ただ、白の反応が怖くて、恐る恐る顔を上げた。

 山田を覗き込む白の顔は、照明の付いてない研究室の暗がりに陰って、よく分からない。

「大丈夫じゃないよ。頭を打ってるじゃないか。少し横になってたら?」

 そう言ってソファを指差した。

「あ、大丈夫なんで」

 後頭部を手でさすりながら起き上がって、椅子に手を預けて立った。

「いつもなの?」

 心配そうな声音で白が言った。

「いつもって?」

「綿子ちゃんが見えたんじゃないの」

 山田はドキリとした。見えた? まさか、白にも見えたのだろうか。

 あからさまな山田の表情に、白が軽く、「ははは」と笑った。

「いや、そんなふうに思っただけだよ」

 山田は何故かほっとした。あんな姿の綿子を他人に見せたくなかったからだ。他人のイメージに綿子の無惨な姿を焼き付けたくない。綿子のことは、美人で快活な少女として記憶に収めてほしい。

 ただ、白の勘の良さには舌を巻いた。今まで、あの状況で、山田が綿子を目の当たりにしたと察するような人間はいなかった。ましてや、白には先日、怨霊になった綿子が見えるからよく奇行を繰り返してしまい、仕事を首になる。と、伝えただけだったからだ。

 それだけで、山田の気絶が綿子に繋がると考えたのは、白だからだろうか。

 不思議な人だ、と山田は思った。

 白が壁の照明のスイッチを付けた。カチカチッと音を立てて蛍光管が点いた。途端に窓ガラスがまるで鏡のように、色を変えた。

 綿子はもういなかった。時々こうやって、何がきっかけか分からないが、姿を現す。怨霊だとかなんとか話をしたのが嫌だったのだろうか。綿子にもしも生前の記憶があったなら、怨霊などと言われたくないだろう。

 気をつけないと、と山田は反省した。

「さてと、山田君」

 窓の外を、明かりを両手で遮るようにして覗いている白が山田に呼びかけた。

「はい」

「今日、夜、少し残れる?」

 残業しろと言うことだろうか。特に用事がなかったので、山田は頷いた。

「昨日できなかったことをやりたくて」

 昨日。山田の記憶が過去に戻り蘇る。嫌な予感しかしなかった。

「嫌ですよ」

「まだ何も言ってないのに」

「祟り石の所に行く気でしょう」

 ぱっと白が振り返る。

「なんで分かったの」

 白ならそう言うだろうとしか思えなかった。

 山田が黙っていると沈黙を肯定とみなして、白が続ける。

「なぼうがどこから来るのかは、遅いから調べられないけど、夜になれば、なぼうが現れる場所を特定できる。しかも今日は月夜だ。まぁ、多分曇っていてもなぼうは出ると思うけど、月夜だと周りが明るいからね。肉眼でも見やすい」

 誰が何を肉眼で見るのだ。怪訝な目つきで白を見ていると、白が勝手に頷いて、山田の嫌な予感を的中させた。

「山田君は夜目は効くほうかな。目が悪いけど大丈夫?」

「断られるって考えたりしないんですか」

「なんで断るの。君は祟られてないじゃないか」

 しかし、首のことがある。

「関係なくても、この通り被害には遭ってますから」

「そうだけど、今度夢で私が襲われても助けなくていいよ」

「もう助けません」

 次も助けたら、今度はどこがどうなるか分からない。それは御免だった。

「で、私が触るから、君は隠れていたらいいよ」

 白の頭に、中止するという文字はなさそうだ。

「なぼうが来た方向を教えてもらったら、そっちの方角に走るから。それで交わったときにどうなるか見ててよ」

「はぁ?」

 なんとも気持ち悪い光景を思い浮かべて、山田の口から素っ頓狂な声が漏れた。

「行き逢い神と行き逢うってどんなものか知りたいじゃないか。めったにないよ? まぁ、必殺必中で死んでしまう行き逢い神もいるけど、そのときはそのときだ」

「命が惜しくないんですか」

 山田が呆れて言った。

「知りたいじゃないか! 好奇心が疼かないかな! ワクワクしてこない? どうなるか知りたくない?」

 無邪気な子供のように、白は両手を広げた。

 それを冷めた目で山田は見ていた。

「知りたくないです」

「つまらないな。でも、私は行くと決めたから、君が行かなくても実行するよ」

 それを聞くと、山田は落ち着かなくなり、胸がざわざわしてきた。罪悪感だ。白がとんでもない目に遭うのが分かっているのに見捨ててしまって、死ぬようなことがあれば、ずっと後悔するだろう。

「分かりました」

 山田はため息を吐いた。

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