ぐひんの山 第九章 ぐひん様②
住所近くのパーキングに車を停め、スマホで地図アプリを開き、確認しながら竹内の家を見つけた。
インターフォンを鳴らすと、しばらくして玄関ドアが開いた。
癖の付いた白髪の、梅干しみたいにしわしわとした老人が顔を見せた。ビンの底のような眼鏡をして、じっと陽菜を見つめている。
「こんにちは。桐野です」
考え込んでいるような雰囲気で竹内は一言も喋らない。不安になった陽菜はもう一度自己紹介をした。
「……ああ、電話の子ね。上がっていいよ」
一歩踏み込んだ家の中は、本の山で辺り一面、覆い尽くされていた。
「わ……」
その山の間をすいすいと避けながら、竹内が奥へ奥へと行ってしまう。慌てて陽菜も本の谷間を縫って進んだ。
ドアは開け放しで、居間も台所もみんな本に埋め尽くされている。本で床が抜けないか心配になってくるほどだ。廊下の奥で竹内がドアを開いて手招きする。部屋を覗くと、床はもちろん、机の上まで本が積み上げられていた。
「たしかなぁ、この辺にあったと思うんだが……」
そう言ってガラス戸の本棚を指さした。
「この中ですか?」
陽菜が近寄ってガラス戸を開こうとすると、
「いやいや、この辺り全部」
竹内が指さした場所は、床の本の山も含まれているようだ。ざっと見ても五十冊かそれ以上ありそうだ。
「ここ触っても大丈夫ですか?」
「……うむ、元に戻しといてくれ。ちゃんと分類してあるから」
それを聞いて、陽菜は耳を疑った。こんなにぐちゃぐちゃしているのに、どこに何の本があるか把握しているのか。嘘だ、と思いながら、上から順に本を見ていく。本の山を元に戻しながら、古い冊子を取り上げては読んでいく。どうやら昭和時代の郷土史の同人誌らしい。表紙には論考のタイトルや見出しがないので、ボロボロの紙の冊子をいちいち開いては目次に目を通した。
山の半分ほど見て、竹内が言ったとおり、一応分類されていることに気付いて感心した。饗庭村の伝承を見つけて、思わず声が漏れる。
「やった!」
椅子に座って何か書きものをしている竹内が、ふと顔を上げて陽菜を見やる。それに気付いた陽菜は頬を赤らめて口をつぐんだ。
気を取り直して、目次に記載しているページをめくる。この頃はまだワードプロセッサもなかった時代だったようで、手書きで論考が書いてあった。
饗庭村にあるへえらず山には、盲目の山神がおり、その神は野槌によく似ており、里に下りては人や牛馬を喰う。村人達は山神をとても畏れた。山神の名はぐひんといい、人の目に見えず、山から下りては人や牛馬を食らっていた。喰われた牛馬や人には首の周りに赤い筋が出来るため、村人はぐひんが喰ったとわかるのだ。
はいらずの山に入山すると、ぐひんにさらわれて神隠しに遭う。
陽菜は聡の首回りに出来た赤い筋を思い出した。あれはぐひんが聡を食べた証拠だったのだ。真弓や直也の首にもあの赤い筋は出来たのだろうか。今になってみると、やはり葬式に参列できなかったのは残念だった。陽菜は自分の首に手をやる。知らないうちに自分にも赤い筋が出来ているかも知れない。
それにしても、『野槌』の名をここで見ることになるとは思わなかった。しかも、『野槌』=『ぐひん様』と読める内容だ。
他にも、民間の郷土史研究家の推察が掲載されていた。
ぐひん様は古来より一抱えもある大蛇だという説あり。他にも、山の神の零落したもの、野槌だというものもあり。入らず山には民間伝承が残されており、そこには妖怪となり果てた神がいるとされている。信仰されず、やがて神聖性をなくし妖怪に成り下がった山の神は、蛇のような姿の野槌となって、山越えする旅人や里の人間を捕らえて喰うようになった。目に見えないため、山に現れる巨大な長物を野槌といったのではないか。※要出典。
研究家の中には、民間伝承……出典元のわからない説を推していたが、その出所は陽菜が研究室の資料で見つけた伝承と思って間違いないのかも知れない。平良須山とは全く関係ない山の話だが、同じ県のどこかの山での話が、山を点々とする山の民によって語り継がれてきたのではないか。
気になるのは、再々『野槌』という名称が出てくることだ。白の話した内容を思い出そうとして、頭を悩ませていると、不意に思い出した。
「カヤノヒメ……」
白が言っていた草の神である鹿屋野比売神の別名が、野椎神であると。ぐひん様とこの山の神が同一のものであれば、野槌はぐひん様であると言って間違いない。
巨大な蛇が平良須山を縦横無尽に這いずり回っている光景が目の裏に浮かび上がった。
また、論考は次のような説を展開していた。
ぐひんを畏れた村人は、今まで交流を避けていた漂泊の民、サンカにへえらず山のぐひん退治を頼んだところ、サンカはへえらず山の麓に住むことを条件にぐひんを捕らえて首を切った。それ以来、ぐひんが里に下りることはなくなったが、サンカはやがて饗庭村の長者となった。この伝承は江戸時代末期に饗庭村にて口伝えで受け継がれた。
その後、サンカ一族は村人がへえらず山に入ることを禁じた。
へえらず山とはのちの平良須山のことである。
陽菜は思いがけず自分の先祖のルーツを知り、胸が熱くなった。
封印を解かれたぐひん様はまず側にいた幼馴染み達を食らったのだろうか。それならば二年間無事だったのは何故だろう。ただ、これは伝承であって歴史に綴られたものではない。他の二人の首に赤い筋があるか確認しようもないから、ぐひん様に喰われたとも言いがたい。
この饗庭村の郷土史に書かれているぐひんに攫われる、喰われるという現象は、村内で起こった偶然が重なり、ぐひんという山神が平良須山にいると、村人が想像で作り上げたものではないだろうか。
本当にぐひんが存在するのであれば、犠牲になる村民がいてもおかしくない。
サンカと呼ばれる山の民だった桐野一族が、どうやってぐひんを捕らえて封じたのか、一行も書いておらず、せっかく見つかった資料なのに残念だ、と陽菜はがっかりした。
残されたのは、資料を見せるのを拒否している郷土史家だけになった。最初はぐひんを調べるためではなく、純粋に饗庭村の伝承と民間信仰を知りたくて取材させて欲しいと頼んだのだ。むげなく断られたが、諦めずにいまだに連絡を取り続けている。本当ならば、実際に会いに行って話をしたほうが聞き取りがしやすいのだが、いつも断られてしまっていまだに会えていない。
時間を見るとあっという間に一時間半過ぎていた。目的の物を見つけたので、竹内に声を掛ける。
「竹内さん」
見ると竹内は気持ちのいい昼下がりの太陽光の下で、うとうとしているようで返事がなかった。
陽菜はもう一度名前を呼んで、竹内が顔を上げるのを待った。
「目的のもの見つけました。これ、お借りするかコピーを取ってもいいですか?」
まだ眠たい目をしている竹内が、コピーはいいけど、貸さないと言ったので、仕方なく、スマートフォンで郷土史同人誌の該当ページをカメラに収める。
玄関先まで見送ってくれた竹内に礼を言って別れた。
その足で、もう一人の郷土史家に電話をしてみると、若い男性が電話に出た。
「あの、桐野ですが、柳さんのお電話ですか?」
駐車場に停めた車に乗り込んで話を続けた。
「はい、そうですが……」
不審そうに電話の向こうの声が低くなる。
「柳さんに郷土資料を見せて欲しいと電話してたんですが、柳さんは……?」
まず、柳の電話に誰かわからない男性が出たのが不思議だった。
「父は亡くなりましたが……」
それを聞いて陽菜は驚いた。数週間前に電話したときは元気そうだったからだ。
「あの、ご愁傷様です……」
「それでご用件は?」
男性に言われて、陽菜は見せてほしい郷土資料があるのだと説明した。
「いいですよ」
思いがけず、男性から郷土資料の閲覧の承諾を得られた。
「いいんですか、ありがとうございます!」
「で、それでどうしたらいいんですか」
不安そうに訊ねてきた。
「あの……、差し支えなければ、そちらに伺いたいんですけど……」
「ああ、いいですよ」
「今からとか大丈夫でしょうか?」
「ええ、ちょうど今父の部屋の整理をしてたんです」
整理と聞いて陽菜は焦る。貴重な資料が整理と称して廃棄されていたりするからだ。
「郷土資料も整理されました?」
「いえ、本にはまだ手を付けてませんよ」
陽菜は小さな声で良かったと安堵のため息をつく。
「住所言いましょうか?」
と言う申し出に陽菜はすでに知っていると言って、早速向かうことにした。
柳の家は郊外にある。町中を抜けるとポツンポツンと家屋が建つ風景が目に入る。枯れた田んぼに三角形の積み藁が並んでいるだけの風景なのに、饗庭村に比べると活き活きしている。高齢な村民が多い饗庭村では、畑や田んぼは歯抜けのように使われないままに放置されているので、雑草に覆われている。この辺りになると雪は積もっておらず、道の脇に黒い汚れた残雪を目にする。
やがて、田んぼに囲まれた屋敷が見えてきた。
広い敷地のぐるりを白い塀が囲み、剪定された樹木が塀越しに見える。どっしりとした門構えに、平屋建ての日本家屋は大きく、外から見てもかなり広いことが窺える。
そういえば、柳は無聊を慰めるのに郷土史家をしていると言っていたような気がする。
広い駐車場に車を停め、玄関に取り付けられたインターフォンを押した。
しばらく待っていると玄関の引き戸が開かれ、四十代くらいの男性が現れた。
「桐野さん、どうぞ上がってください」
「お邪魔します」
今までどんなにお願いしても上がらせてもらえなかった屋敷にやっと入れた。長い廊下を案内される。板張りの床が何年にも渡って磨かれ、鏡のようにうっすらと足下を映している。突き当たりにあるふすまを開くと、そこはきちんと整理された書斎だった。床に置かれているのは紐で縛ったたくさんの書籍と、新聞紙の束だ。
「父が書いた郷土資料や蒐集していた書籍は棚の中です。でもわたし、何がどこにあるのか全く知らなくて。この書籍も捨てるつもりはないんですが、そのままにしておくと危ないので」
申し訳なさそうに柳の息子が頭をかいた。
「大丈夫です。ちゃんと大切に扱います」
「じゃあ、わたしは作業があるんで……、別の部屋にいますね。何かあったら呼んでください」
はい、と答えて陽菜はガラス戸を開けて中を物色し始めた。
ほとんど所属していた郷土史研究会の会報だったが、その会報に興味深い記事がたくさん掲載されている。陽菜は他の記事も読みたいという欲求を抑えて、饗庭村に関する研究発表の記事を探した。月に一冊のペースで刊行されていたらしく、薄いとは言え、一年間の会報を読むのも一苦労だ。それでも目次があるだけマシと言える。三年分に目を通したとき、ようやく饗庭という字が読み取れた。
早速ページを開いて、内容を読む。
饗庭村の名前の由来が書いてある。そこに書かれているのは白と同じような意見だった。
饗庭村の饗は、ごちそうでもてなすという意味があり、庭とは場所のことで、正しくはごちそうでもてなす場所という意味らしい。そこから平良須山の山神に捧げられた生け贄の村だったのではないかという論を展開していた。
読み進めていくと、サンカではないが、山の民の集団によって山神が封じられたことに触れられていた。彼らは、饗庭村の庄屋に頼まれて、オオカミを使い、山神をおびき寄せる儀式をおこなった。山神は目に見えない存在で、また山神自身も盲目であるため、オオカミの首に赤い筋が出来ると山神の訪(おとな)いであると見計らって、山の民は鉈でオオカミの首をたたき切る。それを箱や甕に収めて封をし、祀りあげた。山の民の集団は山神を捕らえたと饗庭村の庄屋に報告し、報酬として平良須山をもらい受けたと記されていた。この言い伝えが聞き取りされたのは昭和初期、桐野某と締めくくられていた。
それとは別に、山の民には山岳信仰の他に福の神信仰が色濃く残っており、元々子供を使って、儀式をおこなっていたとあった。それについて、山の民は情報を提供してくれなかったらしい。筆者は、山の民が頑なに蔵への出入りを拒否していたので、おそらく蔵の中で何か儀式めいたことをしていたのだろうと記していた。