人生の比喩
連休も終わってしまったが、この季節に気を配るものと言えばケムシである(苦手な方、ごめんなさい)。地域差があるかとは思うが、私の住む辺りでは、この季節になると何故かケムシが決死の道路横断ツアーを敢行する。道路の向こうに一体何があると言うのか?何がケムシをその命知らずなチャレンジに駆り立てるのか分からないが、お陰でこちらはケムシを踏まないように細心の注意を求められる。さすがにケムシを避けて車にぶつかる訳にもいかないが、迂回したり両輪で跨いだり大変な騒ぎだ(うそ、別に騒いではいない)。
ケムシの気持ちは分からないが、多分ケムシにしてみれば、あの歩みで道路を渡ることがどれ程無謀なことかという認識など無いだろう。すれすれのところをタイヤが通り過ぎながら、何事もなかったように渡り切る幸せものもいれば、何が起こったのか考える暇もなく旅を終えるものもいるはずだ。しかし、とここまで考えてきてふと思う。私たちの毎日も同じようなものではないだろうか?そう言えば、ボールが行き交うビリヤード台の上を何事もないように歩く男性のCMが確か以前あった。私たちの日常が如何に危険に満ちているかを表現した保険のCMだったように記憶している。何という事だ、私たちの日常がケムシの行進と一緒だったとは!
話はまったく変わるが、こんな拙い文章でも、書いていると時々繋ぎ方に迷う時がある。ある文の続け方に複数の選択肢が思い浮かぶ時があるのだ。当然、どちらを選ぶかでその後の展開が変わってくるし、大抵はどちらか一つしか選べないので、今回はこちらでという風に選択することになる。そうしたことが何度かあると、出来上がったた文章は全く違うものになる。連続した選択の仕方によって全く違った結果が導かれる、なんと人生のようではないか!文章を書くことは人生に似ている!
というように、世界は人生の比喩に満ちている。釣りもゴルフも山登りも、花も風も月の満ち欠けも、およそ人生に例えられないものはない。というか、私たちは様々なものの中に人生との類似性を見出すことでそれを愛でているのかもしれない。嘘だと思うなら「人生は○○のようだ」の○○に好きな言葉を当てはめてみればいい。きっと何らかの類似性を見つけることが出来るはずだし、それを探すことは楽しいゲームになるかもしれない。何となれば、人生はゲームのようなものでもあるからして。(ほんとか?)
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